平松家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 18:18 UTC 版)
平松家 | |
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本姓 | 桓武平氏高棟王流 西洞院庶流 |
家祖 | 平松時庸 |
種別 | 公家(名家) 華族(子爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 | 山城国 東京市渋谷区 |
著名な人物 | 平松時方 平松時厚 |
支流、分家 | 石井家(半家,子爵) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
平松家(ひらまつけ)は、桓武平氏西洞院庶流の公家・華族だった家。公家としての家格は名家、華族としての家格は子爵家[1]。
歴史
封建時代
慶長年間に西洞院家(半家)の参議西洞院時慶の次男権中納言平松時庸により創設された[2]。領地の近江国平松村から平松と号した[3]。通字は、「時」である。
公家としての家格は名家・内々・新家[2]。江戸後期の平松時章が正二位権大納言に昇ったのを例外として[4]、正二位権中納言を先途とする[2]。近衛家の家礼[2]。権中納言時行とその次男の権大納言時章は、議奏を経て院伝奏を務めた[2]ほか代々右衛門督に就いた。権中納言時方は、有職四天王とされた。江戸時代の所領の表高は200石[注釈 1]。
明治以降

明治維新期の当主は非参議平松時言[5]。その子である時厚は、幕末に幕府の専横に憤り、同志の尊皇派公卿や各藩の尊皇志士たちと連携。禁門の変の際に一時失脚するも、慶応3年(1867年)に復権し[6]、その後の鳥羽伏見の戦いでは大阪に出陣して戦功があり[7]、明治2年6月2日に賞典禄50石を下賜された[8]。
同年6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると平松家も公家として華族に列した[9][10]。明治維新後に定められた家禄は、現米で292石1斗[11][注釈 2]。明治9年8月5日の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は1万1043円29銭3厘(華族受給者中372位)[13]。
明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同8日に大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 3]として時厚は子爵に叙された[1]。
時厚は維新後宮内省、内務省、司法省などに官僚として勤務した後、元老院議官を経て貴族院の子爵議員に当選して務めた[3][7]。また河鰭実文・秋月種樹・山内豊誠・正親町公董らとともに、華族に社会的・政治的自覚を促すことを目的にした華族有志団体の通款社の発起に参加しているが、これが華族会館の前身となった[6]。
その息子時陽は陸軍騎兵大尉まで昇進した陸軍軍人だった[3]。時陽夫人高子は、太政大臣の三条実美公爵の五女[16]。
その息子時善の代の昭和前期に平松子爵家の邸宅は東京市渋谷区原宿にあった[3]。時善夫人は、歌手の青葉笙子(小野寺貞子)[16]。
歴史物語の『今鏡』に、「日記の家」と紹介されている高棟流桓武平氏になる当家だが、
平松家に代々伝わった朝廷関係の記録文書や国文学の写本などは、京都大学附属図書館に「平松文庫」として所蔵されており、中でも遠祖の平信範の日記『兵範記』、平範国の日記『範国記』、平知信の日記『知信記』は名高く、『兵範記』は重要文化財に指定されている[17]。また江戸・明治時代の公家華族資料2076点が、国文学研究資料館に「山城国京都平松家文書」として保管所蔵されている(昭和36年/1961年平松家が寄贈)[18]。
系譜
- 実線は実子、点線(縦)は養子。
西洞院時慶 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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平松時庸1 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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時量2 | 時方 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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時広3 | 時方4 | 石井行豊 〔石井家〕 |
交野時香 | ||||||||||||||||||||||||||||
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時春5 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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時行6 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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時升7 | 時章 | 長谷時息 | 万里小路文房 | ||||||||||||||||||||||||||||
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時章8 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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時亨9[注釈 4] | 時門10 | 時保 | |||||||||||||||||||||||||||||
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時保11 | 時言 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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時言12 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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時厚13 | 本多時幾 | 小野時敍 | 時韶 | ||||||||||||||||||||||||||||
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時陽14 | 時冬 | 時安 | 時賢 | ||||||||||||||||||||||||||||
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時善15 | |||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
- ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によれば幕末期の平松家領は、山城国乙訓郡大藪村のうち16石9斗6升5合、山城国乙訓郡中久世村のうち100石、山城国乙訓郡寺戸村のうち83石3升5合であり、合計3村・200石。
- ^ 明治3年12月10日に定められた堂上華族の家禄の計算方法は、本禄米に分賜米・方料米・救助米・臨時給与を合算して現高を出し、現米と草高の比率である四ッ物成で計算して草高を算出し、その二割五分を家禄とするものである[12]。
- ^ 中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた。叙爵内規は歴代当主の中にこの大納言直任の例があるか否かで平堂上家を伯爵家か子爵家かに分けていた[15]。平松家は時章が権大納言になっているものの、直任ではない[4]。
- ^ 万里小路文房の次男
出典
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 329.
- ^ a b c d e 橋本政宣 2010, p. 827.
- ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 385.
- ^ a b 野島寿三郎 1994, p. 680.
- ^ 野島寿三郎 1994, p. 681.
- ^ a b 「平松時厚」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和, 朝日日本歴史人物事典』 。コトバンクより2025年3月6日閲覧。
- ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 422.
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 51.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 10.
- ^ 刑部芳則 2014, pp. 105–106.
- ^ 石川健次郎 1972, p. 60.
- ^ 石井孝太郎『国立国会図書館デジタルコレクション 明治華族名鑑』深沢堅二、1881年(明治14年) 。
- ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
- ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 421.
- ^ 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ 平松文庫
- ^ 国文学研究資料館 山城国京都平松家文書
参考文献
- 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。
- 石川健次郎「明治前期における華族の銀行投資―第15国立銀行の場合―」『大阪大学経済学』第22号、大阪大学経済学部研究科、1972年、27 - 82頁。
- 刑部芳則『京都に残った公家たち: 華族の近代』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー385〉、2014年(平成26年)。ISBN 978-4642057851。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。 ISBN 978-4121018366。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『昭和新修華族家系大成 別巻 華族制度資料集』霞会館、1985年(昭和60年)。 ISBN 978-4642035859。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年(平成8年)。 ISBN 978-4642036719。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。 ISBN 978-4820540342。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年
- 野島寿三郎『公卿人名大事典』日外アソシエーツ、1994年(平成6年)。 ISBN 978-4816912443。
- 橋本政宣『公家事典』吉川弘文館、2010年(平成22年)。 ISBN 978-4642014427。
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