平松時量筆本
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「陽明文庫蔵近衛基熙筆源氏物語」の記事における「平松時量筆本」の解説
本写本の直接の書写祖本は平松時量の書写本である。平松時量(寛永4年2月15日(1627年4月1日) - 宝永元年8月12日(1704年9月10日))は、江戸時代前期の公家。平松家の第二代当主であり、初代当主平松時庸の子西洞院時慶の孫にあたる。平松家は近衛家とは家礼・門葉という関係にあり、近衛基煕の娘近衛煕子(のち天英院)が甲府徳川家の徳川綱豊(のち六代将軍徳川家宣)と縁組した際には、形式的に煕子を養女に迎えている。平松時量は正四位下少納言侍従という地位にあって、後水尾天皇のもとで「御本預輩」という書籍の収集・整理・複本の作成を担う立場にあり、後水尾天皇の子である後西天皇のもとでも同様の立場にあったとみられる。 この平松時量による源氏物語の書写本は、直接には「新院御本」を書写したものである。「新院」とは、近衛基煕の幼少時の庇護者であり、古今伝授を与えた学問の師でもあった後西天皇のことであり、「新院御本」とは後西天皇による書写本を意味する。近衛基煕は、この平松時量書写本を「青表紙本」の「字違ズノ本」と高く評価しており、また三条西家本の祖本から見て3回目の転写本であることから「三転本」と呼んでいる。この平松時量本は、近衛基煕が書写・校合を終えた後も長く近衛基煕の手許にあったらしく、『基煕公記』享保2年12月17日(1718年1月18日)条に、「平中納言入道所書源氏之本、数年借之、近日可被返」とあることから享保2年12月23日(1718年1月24日)に行われた近衛基煕から孫の近衛家久へ伊勢源氏切紙伝授が行われた頃まで近衛基煕のもとにあったと考えられる。
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