平松時量筆本とは? わかりやすく解説

平松時量筆本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/02 15:33 UTC 版)

陽明文庫蔵近衛基熙筆源氏物語」の記事における「平松時量筆本」の解説

写本直接書写祖本平松時量書写本である。平松時量寛永4年2月15日1627年4月1日) - 宝永元年8月12日1704年9月10日))は、江戸時代前期公家平松家第二当主であり、初代当主平松時庸の子西洞院時慶の孫にあたる。平松家近衛家とは家礼門葉という関係にあり、近衛基煕の娘近衛煕子(のち天英院)が甲府徳川家徳川綱豊(のち六代将軍徳川家宣)と縁組した際には、形式的に煕子養女迎えている。平松時量正四位下少納言侍従という地位にあって後水尾天皇のもとで「御本預輩」という書籍の収集整理複本作成を担う立場にあり、後水尾天皇の子である後西天皇のもとでも同様の立場にあったとみられる。 この平松時量による源氏物語書写本は、直接には「新院御本」を書写したものである。「新院」とは、近衛基煕幼少時庇護者であり、古今伝授与えた学問の師でもあった後西天皇のことであり、「新院御本」とは後西天皇による書写本意味する近衛基煕は、この平松時量書写本を「青表紙本」の「字違ズノ本」と高く評価しており、また三条西家本祖本から見て3回目転写本であることから「三転本」と呼んでいる。この平松時量本は、近衛基煕書写校合終えた後も長く近衛基煕の手にあったらしく、『基煕公記享保2年12月17日1718年1月18日)条に、「平中納言入道所書源氏之本、数年借之、近日可被返」とあることから享保2年12月23日1718年1月24日)に行われた近衛基煕から孫の近衛家久伊勢源氏切紙伝授が行われた頃まで近衛基煕のもとにあった考えられる

※この「平松時量筆本」の解説は、「陽明文庫蔵近衛基熙筆源氏物語」の解説の一部です。
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