帝国国策遂行要領の決定
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9月3日、「帝国国策遂行要領」の陸海軍案が大本営政府連絡会議に提出された。しかし、及川海相が案文に異議を唱えたため、結局「外交交渉により十月上旬頃に至るも尚我が要求を“貫徹し得る目途なき”場合に於ては、直ちに対米開戦を決意す」との修正が加わり、交渉継続の余地を残すような表現となった(『機密戦争日誌』には「之により本案骨抜きとみるべし。十月上旬に於て更に大なる議論となるべし」と記されている)。 審議の過程で、永野修身軍令部総長が日本は物資が減りつつあり、これに反し敵側はだんだん強くなりつつある、今ならば戦勝のチャンスがあるが、時とともになくなる恐れがあると述べ、杉山参謀総長は動員などで時間がかかるので戦争準備完了の目途は10月下旬とし、なるべく早く決意したいとした。 この戦争準備を10月下旬とする理由については、「九月六日御前会議質疑応答資料」によると、 石油の備蓄が多くても2年で、時日の経過とともに戦争遂行能力が低下すること 米国の海空軍が時とともに飛躍的に向上すること、特に来年秋以降は米海軍の軍備は日本海軍を凌駕すること 北方作戦(対ソ戦)は冬期の大きな作戦が至難で、この期間に速やかに南方作戦を終え、明年春以降の北方作戦に備える必要があること の3点が挙げられている。ちなみに、戦争の見通しについては「質疑応答資料」には次のようにある。 「対英米戦争は長期持久に移行すべく、戦争の終末を予想すること甚だ困難にして、とくに米国の屈服を求むることは先ず不可能と判断せらるるも、我が南方作戦の効果大なるか、英国の屈服等に起因する米国世論の大転換により、戦争終末の到来必ずしも絶無にあらざるべし」 なお、「帝国国策遂行要領」には、別紙として、「対米(英)交渉に於て帝国の達成すべき最小限度の要求事項」がつけられていた。 米英は日本の支那事変処理に容喙または妨害しない日華基本条約及び日満支三国共同宣言により事変を解決せんとする企図を妨害しない ビルマ公路を閉鎖し、蔣介石政権に対し軍事的、政治的、経済的援助をしない 米英は極東において軍事的増強を行わない 米英は日本の所要物資獲得に協力する これらの要求が応諾された場合は日本は以下の約束をする。 仏印を基地として支那以外の近接地域に武力進出しない 公正なる極東平和確立後、仏印より撤兵する フィリピンの中立を保障する (附)欧州戦争に対する態度は、防護と自衛の観念により、又米国の欧州戦争参戦の場合の三国条約に対する日本の解釈及び行動は専ら自主的に行う。ただし、三国条約に基く日本の義務は変更しない これらの外交条件は、経済制裁を受けて窮地にある日本としては明らかに過大要求であり、アメリカにとっては受け入れがたい内容であった。しかし日本としても欧米の帝国主義に囲まれている中での最善のあがきであった。 連絡会議は僅か1回7時間の審議で案文を可決し、9月6日御前会議において「帝国国策遂行要領」は正式決定となった。なお、御前会議では、昭和天皇が異例の発言を行う一幕があり、明治天皇の御製を読み上げて、統帥部に外交が主で戦争は従であると釘を刺した(ただし、天皇は案文自体への干渉は避けている)。
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