帝国国防方針から日独防共協定へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
「ノモンハン事件」の記事における「帝国国防方針から日独防共協定へ」の解説
日本はソ連モンゴルの共同防衛体制が確立したことを警戒し、8月7日の四相会議で決定した帝国国防方針で、ソ連は「赤化進出を企図し、益々帝国をして不利の地位に至らしめつつあり」と書かれた。さらに日本は、ソ連の極東攻勢の強化を受けて、11月25日にナチス・ドイツと日独防共協定を締結した。
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