山笠の形態(舁山笠と飾山)
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「博多祇園山笠」の記事における「山笠の形態(舁山笠と飾山)」の解説
詳細は「山笠」を参照 一般の祭りの神輿や山車に相当する、御霊を宿らせる(「御神入れ」という)もののことをこの祭りでは「山笠」や「ヤマ」と呼ぶ。山笠発祥とされる鎌倉時代の山笠の姿は明確でない。 その後、経緯は不明であるが山笠は多くの幟を立て人形を飾った背の高いものに変化した。江戸時代初期に描かれた「博多祇園山笠巡行図屏風」には、このような幟山笠が描かれている。明治初期まで飾り山製作は、京都祇園細工人形の流れを汲む細工人形師・小堀家が行なっていたが、明治に入り貸家業に転業したことから、しばらくは櫛田神社氏子らに委ねられて製作が続き、大正〜昭和初期の頃に掛けて徐々に博多人形師がその製作を行うようになった。 小堀善右ェ衛門を祖とする小堀流山笠細工人形は、ねぶた山車と同様の竹組細工であったが、現在の「飾り山」として見られるような岩山笠は三苫惣吉が1752年(宝暦2年)に始めた様式といわれる。お堂や水の流れといった部品で風景を構成してそこに人形を配置したもので下絵や絵馬も多く残っており、その姿を伝えている。この頃の山笠は高さが10メートル以上あり、町のどこからでも望むことができた。 1898年(明治31年)、福岡県知事が山笠行事の中止を提議した。理由に山笠が電線を切断する事故が相次いだことが含まれていたため、それまでの高い岩山笠は飾っておくだけの「飾り山」とし、運行には3メートル程の「舁き山」を用いることとなった。なお電線の設置に際して、山笠の運行は事前に配慮されていたが、実際には不十分であった。1910年(明治43年)、市内に路面電車が開通して軌道上空に架線が張られると、架線より高い山笠の運行が不可能になり、「飾り山」と「舁き山」の分化は決定的なものとなった。その後、1979年(昭和54年)に市内の路面電車が全廃されると、舁き山の高さは徐々に緩和されるようになり、現在は4.5メートルまでとなっている。 終戦までは流ごとに、飾り山の台座部分である山笠台に舁き山の飾りを乗せることで、飾り山と舁き山を同一の山笠と見なしていたが、戦後は明確に分離されるようになり、多額の費用がかかる飾り山は商店街や企業の協賛で建てられるようになった。1964年(昭和39年)、川端通商店街(上川端通)は山笠の分化前の姿を彷彿とさせる「走る飾り山」を復活させ、現在でも櫛田入りを奉納し続けている。ただし他の舁き山よりコースが短く設定されており、櫛田入りなどのタイムレースにおいても参考記録扱いとなっている。また他の流の山笠が再び以前の形に戻すような計画はされていない。 「走る飾り山」は電線や信号機・標識などに接触しないよう伸縮式になっている。またこの飾り山は煙が出るようになっているが、これは1991年(平成3年)、この年の年末に公開されたゴジラvsキングギドラのタイアップによる八番山笠・上川端通のゴジラ人形から煙を吐き出させるようにした事が始まりである。 飾り山や山笠の人形の衣装の生地は長年、京都の西陣織を使用していたが、2002年(平成14年)より地元の博多織を人形の衣装の生地に使うようになった。
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山笠の形態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 05:27 UTC 版)
前後に6本ずつの担ぎ棒を持つ舁き山笠で、水法被に締め込みを締めた参加者により担ぎ上げられ走って運行されるなど、運行形態は博多祇園山笠に近い。 ただし山笠の飾りは博多の舁き山笠とは異なり、複数の人形を飾り、屋形や岩、波といった部品で風景を作り、場面を表現するという様式を残したものが運行されている。簡単に言うと博多の飾り山笠を縦に縮めたような山笠だが、飾られる人形は当地で作られる津屋崎人形である。同じような様式の他地区の山笠は、「津屋崎系」と分類されている。
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山笠の形態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/13 04:16 UTC 版)
古来は博多祇園山笠の飾り山笠と同系の背の高いものだったが、明治時代に電線の都合で置き山となり、その後背の低い山笠を運行するようになった。 この山笠は中心にお堂を置き、前後から観賞できるように周囲に複数の人形を置く、横広がりの形となった。飾りや人形の配置は、ほぼ左右対称となっている。博多と異なり曳き山笠であり、夜は多数の電飾で照らされ運行される。近隣の地区においては同様の形態の山笠が数多くあり、「直方系」と分類されている。
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山笠の形態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 10:12 UTC 版)
山笠は、屋形や岩、滝、人形などの部品で構成される岩山笠で、部品の様式は博多祇園山笠のものと共通点も多い。博多と異なる点として、下段の棚や槍出しを使った前後に奥行きのある飾り方が特徴で、同様の形態の山笠は浜崎系と呼ばれる。佐賀県北部にはこの様式の山笠が多い。高さ15m、重さ5tの山笠は現在運行されているものとしては最大級であり、山車としても日本屈指の大きさを誇る。
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