尾山台高校とは? わかりやすく解説

金沢龍谷高等学校・中等部

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 01:38 UTC 版)

金沢龍谷高等学校・中等部
 金沢龍谷高等学校・中等部(2018年6月)
北緯36度33分59.2秒 東経136度35分9.9秒 / 北緯36.566444度 東経136.586083度 / 36.566444; 136.586083座標: 北緯36度33分59.2秒 東経136度35分9.9秒 / 北緯36.566444度 東経136.586083度 / 36.566444; 136.586083
過去の名称 金沢高等予備学校
(金沢夜間中学)
 →尾山中学校
 →尾山高等学校
金沢女学院
 →藤花高等女学校
 →藤花高等学校・
  藤花中学校
→藤花学園尾山台高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人藤花学園wikidata
校訓 建学の精神: 報恩感謝
設立年月日 1925年2月28日[1](高等学校)
2023年4月1日(中等部)
創立記念日 5月18日[2]
創立者 大谷尊由[1]
石原堅正(金沢高等予備学校)
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(高等学校)
学科内専門コース 普通コース
特進SGコース
学期 3学期制
学校コード C117320102753 (中学校)
D117320100049 (高等学校)
高校コード 17504J
所在地 920-0374
石川県金沢市上安原町169番地の1
外部リンク
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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金沢龍谷高等学校・中等部(かなざわりゅうこく こうとうがっこう・ちゅうとうぶ、: Kanazawa Ryukoku Junior & Senior High School)は、石川県金沢市上安原町にある私立高等学校中学校西本願寺系の学校法人藤花学園wikidataが運営する併設型中高一貫校で、龍谷総合学園の加盟校である[3]。高等学校は2018年平成30年)4月に藤花学園尾山台高等学校(とうかがくえんおやまだいこうとうがっこう)から改称し、中等部は高等部に併設される形で2023年に新設された。

概要

2018年(平成30年)の校名変更前は、設置者の法人名を含めた「藤花学園尾山台高等学校」が正式名称であったが、県内マスコミ等においても「尾山台高校」(おやまだいこうこう)と法人名が省略されて表記されることが多かった。また、その名残りで現在でも「おやまだい」や「おやま」と通称されている。陸上部(特に駅伝競走)など県大会強豪の運動部も過去に存在し、スポーツが盛んであった高校である。

設置学科

高等学校
  • 普通科[注釈 1]
    • 普通コース(2年次から文系・理系・文化教養系のコースに分かれる)
    • 特進SG(スーパーグローバル)コース

沿革

経緯

浄土真宗本願寺派金沢別院輪番石原堅正を学校長[注釈 2]として開校した「尾山中学校」と「藤花高等女学校」は、学制改革により学校の設置者として新たに設立された学校法人藤花学園によっていずれも運営されるようになった。その後、それぞれ「尾山高等学校」と「藤花高等学校」の時代を経て「藤花学園尾山台高等学校」となり、金沢市中心部の「南町校舎」より金沢市郊外の「上安原校舎」に校舎を移転したのち、現在の校名に改称されて今日に至っている。

年表

《主要な出典:[11]

旧尾山高等学校

旧藤花高等学校

  • 1925年大正14年)
    • 2月28日 - 金沢女子学院の設立が認可される(石川県指令収学第1887号)[20][21]大乗仏教の理念に基づき、金沢女子学院を設立。
    • 4月 - 金沢女子学院が開校[17]
  • 1926年昭和元年)12月28日 - 藤花高等女学校の開校が認可される[22]
  • 1927年(昭和02年)4月1日 - 藤花高等女学校が開校。校舎を金沢市西町一番丁33番地(大谷廟所内)に新築[20]
  • 1947年(昭和22年)7月 - 学制改革により藤花高等女学校に中学校令に基づく藤花中学校(女子校)が附設される[20]
  • 1948年(昭和23年)3月25日 - 学制改革により、新設の財団法人藤花学園に対し、藤花高等女学校を廃止して全日制女子校の藤花高等学校を設置することを認可される(石川県指令収学第2557号)[20]定時制共学の尾山高等学校を設置。
  • 1950年(昭和25年)3月 - 私立学校法の施行により、財団法人藤花学園に代わる学校法人藤花学園の設立が認可される[17]
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 藤花高等学校に普通科のほかに新たに家政科と商業科を設置[17]
  • 1959年(昭和34年)8月9日 - 藤花高等学校体操部がインターハイの団体総合で4年連続優勝を達成[23][注釈 4]
  • 1963年(昭和38年)1月 - 藤花中学校の募集を中止(藤花高等学校の定員を増加)[17]
  • 1965年(昭和40年)3月31日 - 藤花中学校廃止[17]
  • 1966年(昭和41年)2月1日 - 住居表示による町名変更のため、所在地の表記が金沢市尾山町7番8号[17]となる[24]
  • 1973年(昭和48年)10月11日 - 藤花学園理事会で藤花高等学校の県立移管化を決定[25]。以後、生徒・父母・教職員・同窓会による反対運動にあい、1年余りののちに理事会が県立移管の決定を撤回して東野喜三郎理事長が退任する形で紛争が収拾された[26]

金沢龍谷高等学校・中等部(旧「藤花学園尾山台高等学校」)

  • 1977年昭和52年)4月1日 - 藤花高等学校を藤花学園尾山台高等学校に改称し、男女共学化。
  • 1989年平成元年)12月1日 - 金沢市上安原町(現在地)へ校舎新築移転。
  • 1993年(平成05年)4月1日 - 商業科募集停止。
  • 1995年(平成07年)3月31日 - 商業科閉科。
  • 1997年(平成09年)10月24日 - 学園創立75周年記念式典を挙行。
  • 2002年(平成14年)9月29日 - 学園創立80周年記念式典を挙行。
  • 2003年(平成15年)4月 - ドリカムPLANスタート。
  • 2004年(平成16年)8月24日 - 韓国浄光高等学校と姉妹校交流締結。
  • 2005年(平成17年)4月 - 「こころ」の授業スタート。
  • 2006年(平成18年)4月 - 室内練習場完成。
  • 2007年(平成19年)5月17日 - 学園創立85周年記念式典を挙行。
  • 2012年(平成24年)5月19日 - 学園創立90周年記念式典を挙行。
  • 2018年(平成30年)4月1日 - 藤花学園尾山台高等学校を金沢龍谷高等学校に改称。
  • 2022年令和04年)
    • 5月28日 - 学園創立100周年記念式典に代わる創立100周年「感謝のつどい」を挙行[27]
    • 9月30日 - 金沢龍谷高等学校中等部の設置が認可される[28]
  • 2023年(令和05年)
    • 4月1日 - 金沢龍谷高等学校中等部が開校。併設型中高一貫教育を開始。
    • 4月6日 - 中等部1期生の入学式を挙行(入学者23人)[29]

部活動

  • 運動部 - 陸上、ソフトテニス、テニス、バドミントン、卓球、バレーボール(女)、サッカー、野球、剣道、バスケットボール(男・女)、ソフトボール(女)、ボウリング
  • 文化部 - 放送、パソコン、写真、吹奏楽、箏曲、演劇、美術、書道、茶道、科学、EGS (English & Global Studies Club) 、家庭、華道、囲碁・将棋、文芸、インターアクトクラブ
  • 同好会 - 能楽、古典探究、数学探究

所在地

920-0374 石川県金沢市上安原町169番地の1

アクセス

通学については金沢市近郊より学校通学バスを運行している。また冬期間は冬季チャーターバスとして路線を増やした運行がされている。

学校通学バスは金沢駅西コース、内灘コース、鶴来コース、寺井コースの4コースが運行されている。

著名な関係者

出身者

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 以下のコースのほか、中等部の開校前の時点では、中等部からの内部進学者のためのジェネラルコース(仮称)が2026年度に設けられることが、中等部の初年度向けパンフレットに記されていた[4]。しかし、次年度の『パンフレット2024』には記されていない[5]。その後、『パンフレット2025』には目立たない表記で「※内部進学は原則として新しいコースの所属となります」との記載が見受けられる[6]。このコースが外部進学者との混合なしで編成されるものかどうかは、2025年の時点では不明。
  2. ^ 設立者については、金沢高等予備学校(金沢夜間中学)の設立者が石原堅正(いしはら けんしょう、1886年明治19年〉11月20日[7] - 1979年昭和54年〉2月5日[8])であるのに対し、参考文献によれば金沢女子学院(後の藤花高等女学校)の方は、浄土真宗本願寺派の管長事務取扱であった大谷尊由が設立者であると記録されている[9][10]。さらに、後身の藤花学園尾山台高等学校の記事でも大谷尊由が創立者と記されている[1]
  3. ^ 1956年5月1日時点の生徒数が407人[18]であったのに対し、生徒募集停止の前と考えられる1966年5月1日時点の生徒数が305人[19]となり、10年の間に4分の1にあたる100人が減少した。
  4. ^ 全国高等学校総合体育大会体操競技・新体操大会#歴代優勝者」の項目も参照。

出典

  1. ^ a b c 『私学の創立者とその学風――日本私立中学高等学校連合会三十年史』日本私立中学高等学校連合会、1977年11月、151頁。NDLJP:12249843/309 
  2. ^ 創立記念式典(令和6年5月16日)」『新着情報』金沢龍谷高等学校中等部、2024年5月16日。
  3. ^ 加盟校一覧(2023年7月1日現在)”. 龍谷総合学園グループ. 2024年7月23日閲覧。
  4. ^ 中等部パンフレット2023”. 金沢龍谷高等学校中等部. p. 5. 2024年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年7月23日閲覧。
  5. ^ 中等部パンフレット2024”. 金沢龍谷高等学校中等部. 2024年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年7月23日閲覧。
  6. ^ 中等部パンフレット2025”. 金沢龍谷高等学校中等部. p. 4. 2024年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年11月8日閲覧。
  7. ^ 城端町史編纂委員会 編『城端町史』国書刊行会、1982年5月、1282頁。NDLJP:9538770/666 
  8. ^ 石川県史編さん室 編『石川県年表 昭和篇 第4』石川県教育委員会、1981年3月、495頁。NDLJP:12193292/252 
  9. ^ 石川県高校教育十年史 1959, p. 575.
  10. ^ 石川県高校教育二十年史 1970, p. 401.
  11. ^ 金沢龍谷高等学校について - 沿革・環境”. 金沢龍谷高等学校. 2024年7月23日閲覧。
  12. ^ a b 石川県高校教育二十年史 1970, p. 403.
  13. ^ 「法人登記」『官報』第3155号、大蔵省印刷局、1937年7月10日、280頁、NDLJP:2959638/13 
  14. ^ 石川県高校教育二十年史 1970, p. 404.
  15. ^ 石川県高校教育十年史 1959, p. 578.
  16. ^ 日本私学団体総連合会 編『私学年鑑』(昭和26年版)自由教育図書協会、1950年9月、287頁。NDLJP:3038765/156 
  17. ^ a b c d e f g 石川県高校教育二十年史 1970, p. 400.
  18. ^ 『金沢市統計書』(昭和31年版)金沢市総務部統計課、1957年3月、301頁。NDLJP:9527289/161 
  19. ^ 『金沢市統計書』(昭和42年版)金沢市総務部統計課、1968年2月、308頁。NDLJP:9527300/173 昭和42年版には学校別の数値は記載されていないが(昭和37年版以降記載なし)、同頁掲載の学校総括表にある定時制の私立高等学校の数が1校のみであるため、特定が可能。
  20. ^ a b c d 石川県高校教育十年史 1959, p. 574.
  21. ^ 『石川県年表』(大正編)石川県教育委員会、1956年8月、303頁。NDLJP:3010059/156 
  22. ^ 「文部省告示第3号」『官報』第3号、大蔵省印刷局、1926年12月29日、71頁、NDLJP:2956458/4 
  23. ^ 『北国年鑑』(昭和35年版)北国新聞社、1960年3月、113頁。NDLJP:2980666/77 
  24. ^ 『住居表示による町名変更一覧』日本加除出版、1966年10月、151頁。NDLJP:2995634/82 
  25. ^ 戦後石川教育太平記編集委員会 編『戦後石川教育太平記』石川県自治と教育研究会、1974年3月、186-187頁。NDLJP:12115071/97 
  26. ^ 石川県教育史編さん委員会 編『石川県教育史 第3巻』石川県教育委員会、1977年3月、475頁。NDLJP:12115233/268 
  27. ^ 創立100周年「感謝のつどい」」『新着情報』金沢龍谷高等学校、2022年5月29日。「コロナ禍のため在校生は3年生のみの参列」
  28. ^ 石川県私立学校名簿(令和5年5月1日現在)”. 石川県総務部総務課. p. 18. 2024年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年7月23日閲覧。
  29. ^ 令和5年度 1期生の入学式を行いました。」『新着情報』金沢龍谷高等学校中等部、2023年4月6日。
  30. ^ 地方からたくさんのメダルを!加藤宏子さん「私が切り開いた」日本各地に才能が点在する今こそ”. スポニチ Sponichi Annex (2019年5月15日). 2021年8月2日閲覧。

参考文献

  • 石川県高校教育十年史編集委員会 編『石川県高校教育十年史』石川県高等学校長協会、1959年12月、574-579頁。NDLJP:9543649/306 
  • 石川県高校教育二十年史編集委員会 編『石川県高校教育二十年史』石川県高等学校長協会、1970年3月、400-405頁。NDLJP:12113512/226 

外部リンク


尾山台高校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 09:43 UTC 版)

風光る (七三太朗・川三番地の漫画)」の記事における「尾山台高校」の解説

久恒 尾山台高校の4番捕手主将多摩川ダメ多摩評していたが、結局痛い一撃喰らうその後、ゆたかをずっと追い続けていた。 根津 尾山台高校のエース。ゆたかに決め球シュート打たれ自信喪失に陥り、結果先発広田合わせて16点取られコールド負け喫する

※この「尾山台高校」の解説は、「風光る (七三太朗・川三番地の漫画)」の解説の一部です。
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