富貴島線・鬼越線・市川学園線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:34 UTC 版)
「京成バス市川営業所」の記事における「富貴島線・鬼越線・市川学園線」の解説
市61:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 市川総合病院 - 昭和学院 - 八方橋 - 市川学園(東菅野五丁目) 市62:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 市川総合病院 - 昭和学院 - 八幡六丁目 - 市川学園 市63:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 市川総合病院 - 昭和学院 - 京成八幡駅 - 本八幡駅 本71:本八幡駅 - 鬼越駅 - 八方橋 - 市川学園 本71:本八幡駅 - 鬼越駅 - 八方橋 - 市川学園 - 姫宮団地入口 - 医療センター入口 本74:本八幡駅 - 鬼越駅 - 八方橋 - 市川学園 - 市川学園正門前 西55:西船橋駅 - 東中山駅入口 - (無停車) - 市川学園正門前1957年10月15日:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 東京歯科大(現在の市川総合病院) - 菅野一丁目 - 東菅野広小路 - 菅野交番前 - 八方橋 - 鬼越駅 - 市役所 - 京成百貨店入口 - 市川駅が開通。1977年頃の方向幕は「市内循環 眞間駅廻り」(青文字)と「市内循環 郵便局廻り」(赤文字) 1979年8月28日またはそれ以前:東菅野五丁目 - 中山団地 - 八方橋 - 菅野四丁目 - 市川駅 - 市役所 - 八方橋 - 中山団地 - 東菅野五丁目(現・市川学園)に変更。 1983年10月31日:循環線が昭和学院経由となる。本八幡駅(復路終点は京成百貨店入口) - 鬼越駅 - 東菅野五丁目が開通。 昭和:折返線(東菅野五丁目 - 昭和学院 - 市川駅)が設けられる。 1995年4月1日:循環線が市川駅で分割される。 1997年10月6日:市役所経由便が本八幡駅 - 鬼越駅 - 東菅野五丁目に短縮。復路終点が本八幡駅に変更。 2003年4月1日:市川学園の移転に伴い、本八幡駅発の朝ラッシュ時の便が八幡六丁目経由に変更。西船橋駅 - 東菅野五丁目の直通バスが運行開始(平日通学時間帯)。 2005年12月1日:東菅野五丁目バス停名が市川学園に変更。(方向幕も市川学園に変更) 2009年11月16日:市63系統を新設、富貴島線の市川学園行の一部便が本八幡駅行に変更。 2014年5月16日:鬼越線の一部便がニッケコルトンプラザに乗り入れ。このことに関連して本73系統の運行を開始。 2015年4月1日:ダイヤ改正により、本72系統を廃止(運行は3月31日まで)。本74系統の運行を開始。 2021年4月16日:ダイヤ改正により、本73系統を廃止(運行は4月15日までだが、土休日のみの運行だったため事実上の運行は4月11日まで)。 富貴島線は、1957年に市川市内を循環する路線として市川駅 - 市川総合病院 - 八方橋 - 市役所 - 市川駅が開通した。当時は道路状況が悪くなかったため、頻繁運行が行なわれ市民の足となっていた。なお、今の市川総合病院バス停近くに菅野操車場があり、そこで乗務員の交代が行われていた。 その後、中山団地線(京成百貨店入口・京成八幡駅→市役所→鬼越駅→八方橋→北方団地(現・中山団地)→市川学園→京成八幡駅、という循環線。のち中山団地線と名称変更)が開通し、さらにそれが市川北高線に変わった際に、この線が中山団地経由で東菅野五丁目まで延長し、変型のラケット型循環線となった。この際に始発終着は東菅野五丁目となり、双方とも行き先が「東菅野五丁目」となったので八方橋基準に右回り系統の幕は青文字で「市役所・市川駅・真間駅廻り 東菅野五丁目」、左回り系統の幕は赤文字で「真間・市川駅・市役所廻り 東菅野五丁目」という表示を掲出していた。尚左回り系統の文字は赤であったので、最終便は赤ランプを点灯するため、最終便の行き先表示が非常に見づらかった。 しかし、1)乗客のほとんど全員が途中の市川駅と京成百貨店入口(本八幡駅前だが国道14号上にあった。現在は廃止)で乗降してしまうこと、2)南側が総武線・京成線と並行しているために乗客の利用が少ないこと、3)道路の混雑のために、循環線だと定時制が確保しにくくなった、などの理由のために以下の変更が行われた。 東菅野五丁目 - 菅野交差点 - 市川駅の折返便の新設 東菅野五丁目 - 鬼越駅 - 本八幡駅(北口ロータリー。ただし、本八幡駅到着停留所は「京成百貨店入口」を使用していた)の新設 1995年4月1日に東菅野五丁目 - 菅野交差点 - 市川駅と東菅野五丁目 - 鬼越駅前 - 京成百貨店入口 - 市川駅(上と同じく、ラッシュ時には本八幡駅発着便あり)の2系統に分割および、鬼越経由便の減便 その後も、国道14号区間においては状況の改善には至らず、1997年10月6日に京成百貨店入口(本八幡駅) - 市川駅が廃止となった。残った区間についても、市川駅発着便と本八幡駅発着便とで本数に差が見られ、後者は1時間に1本という時間帯まで現れた。 国道14号上にあった、本八幡駅の最寄りの停留所は「京成百貨店入口」と名乗っていた(同百貨店ができるまでの名称は「八幡十字路」)。1997年10月以前において、本八幡駅折返便の本八幡駅行の終点は駅停留所ではなく京成百貨店入口だった(その後駅ロータリーまで回送)。それ以後は同停留所そのものが廃止されたため、この便の終点も駅ロータリー側に変更された。 のちに菅野交差点経由系統は平日夜間、市川駅で総武快速線との接続を重視するダイヤが組まれたことがあった。 2003年に市川学園が東菅野から本北方に移転したことで最寄となるバス停が東菅野五丁目に変更になり、富貴島線が通学手段として用いられるようになるとともに、通学時間帯には西船橋駅から東菅野五丁目までの直行便も設けられた。その後2005年になってバス停名も東菅野五丁目→市川学園(併せて姫宮団地線の(旧)市川学園も東菅野三丁目へ)と変更され、これに伴い方向幕なども変更された。この際、増発された朝ラッシュ時の便(本八幡駅 - 京成八幡駅 - 八幡六丁目 - 市川学園)は姫宮団地線の本11系統(シャトル便)と富貴島線の本72系統(復路のみ)に二分されていた。なおこの2系統はその後の2015年4月ダイヤ改正で市川学園正門前まで延伸、本16系統に統一された。 京成バスの公式プレスリリースにおいて、本八幡駅発着便の路線に「鬼越線」、西船橋駅 - 市川学園直行便に「市川学園線」の名称を使っている例が見受けられる。 富貴島線および北高線の変遷(その1) 富貴島線および北高線の変遷(その2) 富貴島線および北高線の変遷(その3) 東菅野五丁目循環(当時)詳細図
※この「富貴島線・鬼越線・市川学園線」の解説は、「京成バス市川営業所」の解説の一部です。
「富貴島線・鬼越線・市川学園線」を含む「京成バス市川営業所」の記事については、「京成バス市川営業所」の概要を参照ください。
- 富貴島線・鬼越線・市川学園線のページへのリンク