富士大石寺とは? わかりやすく解説

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大石寺

(富士大石寺 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 16:12 UTC 版)

大石寺(たいせきじ)は、日蓮正宗総本山寺院である。宗祖は日蓮。正応3年10月12日1290年11月15日)、第二祖(開祖)日興によって開創された。寺号の大石寺は地名の大石ヶ原(おおいしがはら)に由来する。開基檀那は南条時光


注釈

  1. ^ なお、(宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 202)には「敬台院は、〔大石寺第17世〕日精に帰依し(略)細草檀林を設立し」とあり、(日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 702)には、『富士要学全集』第8巻所収「細草檀林資料」を典拠として、「大石寺末寺法詔寺の顕寿院日感〔は〕(略)資金を(略)敬台院(略)に仰ぎ」とある。

出典

  1. ^ 『宗旨建立と750年の法灯』 P.91
  2. ^ 執行海秀 1952, p. 151.
  3. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 201.
  4. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 202-ただし、大石寺が細草檀林を創設したことのみ。
  5. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 702.
  6. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 208–219-ただし、法難があったことのみ。
  7. ^ 榎木境道 2007, pp. 450–454-ただし、本書p.453には、本門宗への改称が許された1889年(明治32年)時点での興門派は「大石寺を除く」ともある。また、1872年(明治5年)日蓮宗→1874年(明治7年)勝劣派→1876年(明治9年)興門派へと変遷したこと、1899年(明治32年)興門派が本門宗と称したこと、1900年(明治33年)独立したことのみ。
  8. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 230–231-ただし、1876年(明治9年)に日蓮宗興門派と称することになったこと、1900年(明治33年)に日蓮宗富士派と公称したこと、1912年(明治45年)に日蓮正宗と改称したことのみ。
  9. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 458-ただし、日興門流が1876年(明治9年)に独立して日蓮宗興門派と称したこと、1899年(明治32年)に本門宗と改称したことのみ。
  10. ^ 木村勝行 1995, pp. 61–62-ただし、管長就任関係、日蓮宗富士派を結成したときの末寺数、現在も日蓮正宗であることを除く。
  11. ^ 「明治末期の六壷(宗務院入口)」の写真による(『宗旨建立と750年の法灯』 P.93)。
  12. ^ 富士宮市内指定文化財等一覧





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