家事調停制度の沿革 (フランス)
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「家事調停」の記事における「家事調停制度の沿革 (フランス)」の解説
フランス語圏の法域で最初にアメリカにおける合意支援の実践を導入したのは、ケベック州(カナダ)の実務家たちである。1981年2月にモントリオール市で司法省、社会問題省、モントリオール上級裁判所、弁護士会、司法扶助会及びモントリオール市社会サービスセンターの協定に基づく家事調停サービスが開始され、1984年4月に常設化されたほか、同年にはケベック市社会サービスセンターによる家事調停サービスが開始された。 「本家」であるフランスの実務家が合意支援に着目し始めたのは1984年頃である。ベルサイユの父母児童協会 ( L’association Père Mère Enfant, APME ) は、主にモントリオール家事調停サービスセンターにおける実践を学び、1987年に家事調停サービスを開始した。1988年にPTA全国連盟 ( Fédération Nationale des Écoles des Parents et des Éducateurs, FNEPE ) が主にパリ地域支部で家事調停サービスを開始した。また、政府も、1988年4月以降、調査研究の委託やケベック州への調査団派遣を行い、フランスへの家事調停の導入準備に着手した。 1988年7月にAnnie Babu 及び Lorraine Filion が家事調停協会 (l'Association Pour la Médiation Familiale, APMF) を設立し、その後、同協会やモンペリエの親子調停協会などの家事調停の推進を目指す諸団体が連携して、全国家事調停連盟 (la Fédération Nationale de la Médiation Familiale, FENAMEF) などの全国的組織を設立した。 1995年2月8日の裁判所の組織並びに民事、刑事及び行政訴訟に関する法律は、第2編第1章(21条から21条の5まで)を「合意支援」と題し、調停人の守秘義務などを規定した。また、民事訴訟法典131条の1は、裁判官が調停人を指定して合意支援を試みさせることを認めた。 2001年及び2003年から2004年にかけての2度にわたり、モニーク・サッシャーが率いる家事調停に関する国家諮問委員会(サッシャー委員会)が報告を行い、これらの報告に基づいて、所定の訓練を経た調停人に国が修了証書を授与する制度を創設し、2006年には国家扶養手当基金を通じた調停人の能力開発のための全国計画が始まった。 立法の分野でも、2002年3月4日の親権に関する法律が共同親権制を原則とするとともに、両親が離婚後の親権の行使に関する協議をする場として、家事調停を制度化した(民法第373条の2ないし10)。2004年5月26日の離婚改革に関する法律が子を持つ離婚当事者への支援を規定したことにより、家事調停の有用性は高まった。家事調停は、2005年1月1日以降、2004年の離婚手続法(民法第255条第1項、第2項)でも言及されている。 しかし、現場の司法官や弁護士の理解が広がらず、しばらくの間、家事紛争の付調停は低迷していた。 2015年3月(2015年3月11日のデクレ第2015-282号)以降、全ての原告は、訴訟手続を開始する前に、友好的な措置をとったことを説明しなければならない。家族法にこれを当てはめると、調停は家事事件判事に申立てをするための前提ということになる。 2016年11月18日の21世紀司法近代化法7条に基づき、2019年12月31日まで、特定の大審裁判所 (フランス) において、訴えを提起する前に調停を試みることを義務づける実験が行われている。
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