室町将軍の武家執奏とは? わかりやすく解説

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室町将軍の武家執奏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/16 13:01 UTC 版)

武家執奏」の記事における「室町将軍の武家執奏」の解説

室町幕府将軍による執奏は「奏聞」「申入」「口入」など記録によっていくつもの表記存在している。通常将軍意向受けて朝廷との交渉役にあたる役人が、役職としての武家執奏申入れを行うことが多い(逆に当該役人朝廷院庁からの幕府への申入れ公家施行)を受け取って将軍伝達する立場になる場合もある)。特に鎌倉幕府時代東使務めた二階堂氏佐々木氏らが使者立てられる場合を「武家申詞」と称した武家執奏足利尊氏将軍補任された暦応年間から事例見られるが、特に回数影響力高まってくるのは正平一統以後のことである。所領安堵武家官位のみならず公家官職任免などの人事家門安堵寺社対す政策勅撰和歌集撰進など朝廷あらゆる分野及んだその結果延文3年1358年)には関白二条良基足利義詮執奏によって16年務めた関白更迭され以後摂政関白太政大臣任命更迭武家執奏介在するようになった。なお、崇光上皇後光厳天皇激しく対立した緒仁親王後円融天皇)の立坊問題巡って後光厳天皇実子緒仁立坊求め武家執奏期待したものの、当時将軍13歳足利義満であり、後見である管領細川頼之は「可為聖断」「武家更難申是非」と慎重な態度示し、あくまで天皇聖断によるべしとの態度示した。これによって天皇親王立坊譲位決断することになった(『後光厳院御記』)。 また、武家執奏による改元文和康暦正長康正延徳大永享禄天文元亀)が存在知られている。本来、室町幕府将軍公卿であることが多かったためにその多く公卿政務としての改元発議ではあったものの、新将軍就任理由とした代始改元正長延徳大永元亀、ただし公式には「兵革」「天変」などを名目とする)や後世には将軍官職参議もしくは公卿達しない場合における武家執奏事例もあり、更に執奏者である将軍足利義澄失脚永正の錯乱)によって中止追い込まれ永正4年1507年)を例外として武家執奏による改元実施移されたこと、また室町幕府応永から新元号への改元35年わたって認めなかったこと(ただし、その原因について足利義満意向とする説と義持意向とする説がある)など、室町幕府および将軍意向によって改元制約されることとなった南朝軍事的攻勢戦乱による収入途絶危機室町幕府軍事力経済力によって辛うじて回避していた北朝朝廷)は室町幕府へ依存なくして成り立たず北朝自身もこれを認識して積極的に幕府と結びつこうとしたこのため武家執奏拒むことは出来ないものとい認識が広まるようになった永徳元年1384年)に後円融天皇三条公忠充て書簡の中で「執奏之下、無沙汰者、可為公御咎也」と記し武家執奏従わないことは公家の咎になる現状嘆いている。 こうした状況が、後に足利義満による王権侵奪室町将軍日本国王化)へと発展し義満以後室町幕府においても引き続き武家執奏による朝廷への介入が行われることとなった

※この「室町将軍の武家執奏」の解説は、「武家執奏」の解説の一部です。
「室町将軍の武家執奏」を含む「武家執奏」の記事については、「武家執奏」の概要を参照ください。

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