宝篋印塔とは? わかりやすく解説

宝篋印塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 00:44 UTC 版)

縁城寺」の記事における「宝篋印塔」の解説

正平六年仏子行秀」の刻銘がある、開基善無畏供養のために建立された高さ3.4メートル石塔である(正平6年1351年)。正平南朝年号であるが、丹後地方一色氏領土であったことから北朝年号南朝正平6年北朝観応2年にあたる)が用いられるのが一般的で、特異なこととされる。塔が建てられ1351年当時足利義詮南朝下り山名時氏南朝味方して丹後国占領していた時代であるため、南朝年号用いたとみられる下方切石積大きな基壇設け、さらにその上に座、座、格狭間と反花座つき座という3段基壇をのせた大がかりなもので、塔身に刻まれ四方仏の種子を安ずる月輪の下に蓮華座設けたり相輪請花宝珠の形に工芸作品のような繊細さをもつ。

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宝篋印塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:55 UTC 版)

明眼院」の記事における「宝篋印塔」の解説

かつての明眼院墓地が町役場にあって南北朝時代建立された宝篋印塔が現存している。1991年平成3年)に町指定文化財指定された。 ほかにも後水尾天皇から賜った茶箱や、明朝から江戸時代にかけての花鳥図4幅など8点いずれも愛知県指定文化財指定されている。なお、13世・円慶が鎮守社であった白山社(現・馬嶋社)に奉納した神輿現存しており、現在は大治町所有となっている。

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宝篋印塔(ほうぎょういんとう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:11 UTC 版)

永安寺 (金沢市)」の記事における「宝篋印塔(ほうぎょういんとう)」の解説

諸仏如来全身舎利(仏の御骨)を安置しているのと同じ尊い功徳ある塔。地下室納骨堂になっており、地下室には光明皇后護持された、鑑真和上が唐から持参したものと伝わる五色仏舎利阿弥陀如来虚空蔵菩薩地蔵菩薩まつられているほか、四方天井手彫り一万八千文字にわたる一切経梵字刻まれている。

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宝篋印塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 14:15 UTC 版)

元箱根石仏群」の記事における「宝篋印塔」の解説

応長地蔵から芦の湯方面進んだところに立つ、多田満仲墓塔伝承される石造宝篋印塔。基壇には格狭間内に永仁4年1296年)の銘と正安2年1300年)の追銘がある。永仁4年の銘には、大和国大工石工)である大蔵安氏造立携わったこと、鎌倉極楽寺開山真言律宗の僧である良観忍性)が供養導師務めたことが記されている。塔身には4面のうち3面胎蔵曼荼羅四仏種子梵字)を陰刻し、残り1面には蓮華座上に法界定印を結ぶ如来坐像半肉彫で表す。

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宝篋印塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:32 UTC 版)

瀧門寺」の記事における「宝篋印塔」の解説

真鶴町指定文化財古碑記念碑の部に指定されている。 1762年明和4年瀧門寺13鳳州了悟和尚ほうしゅうりょうごおしょう)が人々幸せな生活を願い多く善男善女浄財労力奉仕により、宝篋印塔が建立されたと刻まれている。

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宝篋印塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 14:18 UTC 版)

義光山矢の堂」の記事における「宝篋印塔」の解説

2000年平成12年)に小淵沢町文化財指定された。登録名称は「矢の堂の宝篋印塔」 1813年文化10年)、高遠長野県伊那市)の石工池上右衛門周幸の作。安山岩製で高さ370センチメートル屋根部の下には、上層四方仏、下層十六羅漢の像が浮き彫りされているほか、蓮華座やその下の部分にも念入りな彫刻施されている。

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宝篋印塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 15:44 UTC 版)

小田 (つくば市)」の記事における「宝篋印塔」の解説

鎌倉時代宝篋印陀羅尼経趣旨にそって造られた、宝篋山山頂にある石塔。県指定文化財

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