律宗僧と石工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 14:54 UTC 版)
石造宝篋印塔のような石造美術品、特に中世期のものを見るうえで、律宗僧及びその関係の石工たちの存在に注目しなければならない。中世期は、平安期に比べて石造美術品の造立数は格段の数となり、奈良の西大寺の叡尊や忍性といった律宗僧の戒律復興運動の全国展開により、彼らが招いて、率いた石工たちにより、優れた石造美術品が残された。特に先に触れた「箱根山宝篋印塔」に大和生まれの石工大蔵安氏の名が永仁四年(1296年)銘とともに残されていることは注目に値する。現在も律宗系寺院または律宗系寺院の廃寺の跡においては、このような石造美術品が多い。
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