完成されたニュータイプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:10 UTC 版)
「ニュータイプ」の記事における「完成されたニュータイプ」の解説
福井は、『ΖΖ』の主人公であるジュドー・アーシタのような人間が増え、誰もが高次世界との回線を通じて相互理解を深め、複合知性(=〝全体〟)の洞察力によって世界を運営していくことができれば、ニュータイプによる理想郷が実現できたかも知れないとしつつも、人知を越えた力を手にしながら人で在り続けるという矛盾した要求はジュドーには重すぎ、『ΖΖ』の結末では自らその可能性を放棄したのであろうと解釈した。 『機動戦士ガンダムUC』の原作小説のラストシーンでは、ユニコーンガンダムのサイコフレームを介して〝全体〟と接続された主人公バナージ・リンクスのことを、リディ・マーセナスが「共鳴を常態にした真のニュータイプ」と形容する場面があり、OVA版の『UC』では同様の場面で「完成されたニュータイプ」という表現が登場する。福井はOVA『機動戦士ガンダムUC』完結後、同作のストーリー(シリーズ構成)としてインタビューでは、最終シーンで登場した究極形態「ユニコーンガンダム(光の結晶体)」と、それに対してリディ・マーセナスが「完成されたニュータイプ」と口にした事に対して「あの状態のバナージならば、地球上からすべての軍隊をなくすとか、そういうこともできてしまいます」、「結果的にバナージが戻ってきたからよかったですが、あのままユニコーンガンダムと一体化していたら、あの時点で宇宙世紀の物語はおそらく終了になっていたと思うんですね。地球圏の全兵器を使えなくすることもできるし、過去に戻って争いそのものをなくすこともできる。でも、そんなことをやられた日には、世界はめちゃくちゃになってしまいます。おそらく今の三次元プラス時間というものすら維持できなくなる可能性もある」と考えを述べている。そしてまた、アニメ版『UC』ラストで(光の結晶体)が迫り来る連邦MSを停止させたシーンについても「“刻”を巻き戻し、MSのエンジンが分解され組み立て前の状態に戻した」と、“時間操作能力”を交えて、『NT』での設定とは異なる考えをコメントしている。だが、このような恒久的平和すら実現できる存在になれていたと解釈した場合に、それでもバナージが「人間」としてオードリーの下へ帰ることを選んだ事について、福井は「これまでの(宇宙世紀の)ガンダムは、いつか辿り着く“完成されたニュータイプ”の地平を目指して諦めず生き続けよう、という話で、バナージは遂に“完成されたニュータイプ”になれたのかも知れない。なのに『よかったね、おめでとう』という気分にはならない。それはなぜかを皆さんに考えてもらいたいんです」という視聴者に対する問いかけを行っている。しかしながら同時に、「『なんで行っちゃうんだよ!』って誰もが思う。すごい矛盾しているんです。でも、その矛盾こそが人間の人間たる所、愛すべき所だと思うんです」、「今の世の中が完全というわけではなくて、当然改善されていかなくてはいけない。いわゆる“いい明日”を目指す志を持ち続けること。そのひとつの象徴としての“ニュータイプ”というものがあればいいわけですよね。だから『本当に神様になるバカがいるかよ』という所ですよね」と、具体的な演出意図を公言しており、事実上“模範解答”を自ら示している。この他、「完成された」という表現に対しては「「ニュータイプ」とは人の“可能性”であって、劇中のバナージがニュータイプの完成形と規定するつもりはなく、あくまで“可能性”の内の一つの形であって、完成形は他に何通りもあるものだろうと思っている」としており、バナージ・リンクスが辿り着いた“完成形”については「現状では、肉体を持ってニュータイプの境地に辿り着くには、バナージだけでは無理で、サイコフレームというメカニズムの力を借りることが必要だったのだろう」と、トランスヒューマニズム的思想を語っている。なお、アニメ『UC』の“もう一人の主人公”であるリディ・マーセナスについては、「リディっていうのは“普通の人”の代表なわけですよ。お姫様がいて、仮面の強敵がいて、“神様”になっちゃう主人公がいる所で、メインキャラクターで、唯一お客さんと同じ地平に最後まで足をつけていられる人なので。もし、そのまま描き切ってしまえば、リディは自動的に真の主人公にスライドしていくことになるだろうと思いました」と、バナージとの対比を語っている。
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