宅配事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 03:07 UTC 版)
ヴァン・ホーンは非常に初期から、カナダ太平洋鉄道はできるだけ多くの事業から収益を得ると決断していた。これにより宅配・電信・寝台車などの事業を運営し、必要に応じて独立した部門あるいは会社を設立することになった。まだ設立されたばかりの鉄道会社にとっては、得られる収入は何でも獲得しておく必要があったからであり、これに加えて宅配や電信などこうした関連事業は非常に利益が出ると見込んでいたこともあった。その他の寝台車や食堂車などの事業は、旅客へ提供するサービスの品質をより確実に管理するために自社の傘下に置かれていた。ホテル事業もまた、旅行客を集めることでカナダ太平洋鉄道の成長にとって重要であった[要出典]。 ドミニオン宅配会社 (Dominion Express Company) はカナダ太平洋鉄道自身より早い、1873年に独立企業として設立されたが、1882年夏まで列車の運行が開始されることはなく、この時点では300マイル(約480キロメートル)ほどの距離をオンタリオ州ラットポーテッジ(キーノラ)から西へマニトバ州ウィニペグまで運行されていた。ドミニオン宅配会社はすぐにカナダ太平洋鉄道に吸収され、カナダ太平洋鉄道の路線が開業した場所へはどこへでも営業するようになった。1926年9月1日にカナダ宅配会社 (Canadian Express Company) へと改称され、本社をウィニペグからトロントへ移転した。会社は鉄道とは独立した会社として営業され、列車に宅配荷物を搭載する車両を連結して運行するために鉄道会社が費用を請求していた。荷物は旅客列車の先頭に連結された専用の荷物車で、場合によっては車上に乗務している係員によって取り扱われ、高速で定時性の高い輸送を提供することで、遅れがよく生じる少量の貨物輸送より高い運賃を請求していた。あらゆる種類の事業向けに少量輸送を行い、クリーム、バター、鶏肉、卵などが扱われ、これに加えて独立した冷蔵車で生花、魚、その他の魚介類なども運んでいた。馬やその他の家畜、鳥、小動物や展示会に出される動物なども、動物の世話をする飼育員が乗る場所を備えた特別な家畜車で運ばれていた[要出典]。 個人用の自動車も締切の有蓋車を使って宅配扱いで運ばれた。金や銀の延べ棒、それに現金も、造幣所と銀行の間で大量に運ばれ、安全上の理由で宅配担当者は武装していた。小事業用の現金や宝石などの貴重品も小さな容器に入れて定期的に取り扱われていた。郵便為替やトラベラーズチェックの扱いは、クレジットカードが使われるようになる前の時代には宅配会社の重要な事業で、世界中で使われていた。カナダ宅配集配局 (Canadian Express Cartage Department) が1937年3月に設立され、少量貨物を含めた多くの宅配物品の収集と配達を取り扱うようになった。通常の宅配会社の車両が明るい赤に塗装されていたのに対し、この部門のトラックは濃い緑に塗られていた。高速道路のトラックを利用した宅配路線は1945年11月にオンタリオ州およびアルバータ州南部で始まり、鉄道と道路の輸送を協調させることで、特に支線上にある小さな目的地にはよりよい輸送を提供できるようになった。トラック営業はカナダ全体へと広がって行き、少量輸送に関しては重要な交通手段となった。しかし1980年代の規制緩和によりすべてが変わり、何度も時流に沿った変革努力を行ったものの、トラック輸送は終了した[要出典]。
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