大学昇格への道とは? わかりやすく解説

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大学昇格への道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:35 UTC 版)

日本法律学校」の記事における「大学昇格への道」の解説

この時点では制度旧制専門学校であった日本大学大学令による制度上の大学旧制大学)に昇格したのは、1920年大正9年4月16日である。そして、専門学校令準拠日本大学在籍者卒業待って1922年度いっぱい廃止された。

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大学昇格への道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:00 UTC 版)

京都法政学校」の記事における「大学昇格への道」の解説

1918年大正7年)の大学令公布受けて早慶はじめとする多く私学大学昇格運動着手したが、立命館はその対応が遅れた。 もともと中川小十郎大学令による昇格に対して消極的な考え抱いていた。中川1917年大正6年7月行われた第15回卒業式で「本学講義京都帝国大学教授諸君担任せらるる所」であり、「其の講義実質に於て大学講義であるから大学令準拠大学となるために「証拠金積み立てる必要もなければ、又大学教授方よりも劣等な専門教授を置く必要は全然ない」と述べた。さらに1919年大正8年11月22日創立20周年記念祝賀式でもほぼ同様の見解示し京都帝大講義開放拡張する存在としての立命館特殊性維持することにこだわり続けた。 しかし、校友たちは学校当局消極的な態度納得しなかった。創立20周年記念祝賀式の翌日母校創立20周年記念校友大会開かれ78出席)、校友会組織化全国化が始まる。翌年4月には学校側校友側の代表による懇談会開かれ、さらに5月校友総会昇格運動その後の大学経営校友代表も関与すべきことを決議した時勢ニ鑑ミ母校昇格ヲ期ス 昇格ニ必要ナル基金校友会協力ニ依リ之ヲ募集母校財団ニ対シ次ノ希望表明スル財団理事監事協議員ニ大学中学校卒業生若干選任スルコト」 維持員商議員制度ヲ設ケ母校功労者推薦スルコト 大学昇格のために必要とされた45万円については中川小十郎10万円、中川知己10万円、校友側の評議員10万円、一般から15万円募ることとし1920年大正9年9月17日には文部省大学設立申請書提出するところまでこぎつけた。同省の内部事情審議長引いたこともあって大学令による立命館大学設立認可されたのは1922年大正11年6月5日で、1923年大正12年4月予科が、1925年大正14年4月法学部法律学科経済学科)が発足した。そして、従来からの立命館大学専門部1923年大正12年2月専門学部改組され、専門学校令準拠立命館大学1925年大正14年1月7日をもって廃止された。

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大学昇格への道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 06:31 UTC 版)

台湾協会学校」の記事における「大学昇格への道」の解説

1919年大正8年2月第3学長就任した後藤新平最初に直面した難題大学令による拓殖大学昇格問題であったそれまで大学」を称していた私立専門学校大学令準拠大学として認められるためには学校組織財団法人とすること、1校につき最低50万円供託金納付すること、高等学校同一水準予科設置すること、相当数専任教員確保すること、教育研究必要な設備校舎図書館など)を整備することなどの過酷な条件を満たすことが求められた。とりわけ最大難関とされたのは供託金問題であったが、後藤目標額の50万円調達するために台湾の各精糖会社協力依頼し目標どおりの資金確保することができた。 塩水港精糖から20万円 東洋精糖から75千円 台湾製糖から75千円 大日本製糖から75千円 明治製糖から75千円 大学令による東洋協会大学設立認可申請1920年大正10年11月11日行われ、ほぼ1年半審議経て1922年大正11年6月5日認可された。これにより1922年4月入学1年生はただちに東洋協会大学予科1年編入されたが、従来からの専門学校令準拠拓殖大学在籍者全員卒業するまで存続することになったため、校門には「東洋協会大学」と「拓殖大学」の2つ門標1925年大正14年3月まで掲げられた。 東洋協会大学には適当な略称がなかったため、校名を再び拓殖大学に戻すべきだとの声が上がり1926年大正15年7月1日評議員会校名変更決議満場一致可決同年12月8日文部省認可を受け、東洋協会大学時代はわずか4年半で終わった

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