大学時代からデビューまで
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「カトウコトノ」の記事における「大学時代からデビューまで」の解説
明治大学に入学。東京で一人暮らしをしていた大学4年生の時に新潟県中越地震を経験し、それがきっかけとなり、カトウは新潟や家族への思いを再認識した。家族の死を身近に感じ、自分が東京にいる間に家族が新潟で亡くなってしまったら後悔すると考え、新潟に帰ることを決意。大学を卒業後、新潟県で活動している理由は、ひと言でいえば「新潟が好き、家族が好き」だからだと答えている。その後日本アニメ・マンガ専門学校のマンガクリエイト科に入学。 2006年冬に投稿し、24歳の時にtono名義で投稿した『アナスタシアの親衛隊長』が第5回シリウス新人賞にて入選する。2007年、同作が『月刊少年シリウス』(講談社)4月号に掲載され、デビューを果たす。同年、日本アニメ・マンガ専門学校を卒業。受賞後に読み切りとして考案した『将国のアルタイル』のネームを担当編集者に見せた後、当時の同誌の編集長が「これで連載を描いていい」と言ったことにより、同誌9月号より同作の連載を開始。家族がいると精神的に楽だといい、共に暮らしながら漫画家の仕事をしている。
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大学時代からデビューまで
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「日本橋ヨヲコ」の記事における「大学時代からデビューまで」の解説
大学生になり、心境の変化により本格的に漫画を描く決意をする。大学2年の時に、成人式のために帰省した直後に阪神大震災で被災し、周囲の人間を亡くす経験をし、それを機に価値観が変化。大学3年になり、就職と漫画家で進路に悩むが、被災により「死」を認識した日本橋は、「人は簡単に死んでしまうことが解ってしまった」ため、「死ぬまでに自分のやりたかったことをやろう」と考え漫画家を選ぶ。日本橋によると、被災により「体自体が覚醒し」、「感動する感覚が身についた」ことにより「作品が創れるようになった」という。「自分のペースで」執筆をしようと考えた日本橋は、「描き癖」をつけるために月に1度漫画を応募しようと決意し、当時「一番近い締め切り」であったちばてつや賞に投稿。1996年8月、大学3年生の時にその作品『爆弾とワタシ』が第34回の同賞ヤング部門で佳作を受賞し、『週刊ヤングマガジン』(講談社)に掲載された『ノイズ・キャンセラー』でデビュー。
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