大学および初期の経歴
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「スティーヴン・ソンドハイム」の記事における「大学および初期の経歴」の解説
ソンドハイムはマサチューセッツ州ウィリアムズタウンのリベラル・アーツ・カレッジであるウィリアムズ大学の演劇学のプログラムに興味を持ち進学した。最初の教師はロバート・バロウであった: バロウ先生はとてもドライで皆バロウ先生が嫌いだった。私は彼がとてもドライだったから好きだった。バロウ先生は私のアートに対するロマンティックな視点にセンスがないことを気付かせてくれた。私はいつも天使が舞い降りてきて肩に乗り、呪文を唱えると思っていたのだ。なんとかして作品を作っても何も起きなかった。しかし突然空がひらけた。音楽の論理的なことを理解するとすぐ。それまでは無知で、才能があればできると思っていた。 ソンドハイムがシークレストに語ったところによると「大学院で音楽学を学ぶことなく、作曲、理論、ハーモニーを習得したかった。舞台芸術のための作曲がしたかったため、舞台音楽を見下さない人を探した」。バロウはミルトン・バビットのもとで学ぶことを提案した。ソンドハイムはバビットを「落ち目の作曲家」と評しつつ、「完璧なコンビネーション」を築いた。ソンドハイムがバビットと会った頃、バビットはメアリー・マーティン主演のギリシア神話のヘレネーを基にしたミュージカルを作成中であった。当時バビットはプリンストン大学で教鞭をとっており、ソンドハイムとバビットは週に一度4時間ニューヨークで面会した。ソンドハイムによると、最初の1時間はロジャース&ハートやジョージ・ガーシュウィンなどの分析、バディ・デシルヴァ、ルー・ブラウン、レイ・ヘンダーソンなどバビット推薦の作曲家の研究を行なった。その後ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『ジュピター交響曲』などほかのジャンルの音楽の批評を行なった。バビットとソンドハイムはジェローム・カーンなど様々な作曲家の研究をした。ソンドハイムはカーンについて「数少ないバリエーションしかない1つのモチーフを長く飽きさせない旋律にし、少ない材料で最大の発展を遂げることができる」と評した。またバベットについて「私は彼にとって異端児で、彼の厳粛な作風を学んでポピュラー・アーツの世界に行った」と語った。ウィリアムズ大学においてソンドハイムは、1924年のジョージ・S・コフマンとマーク・コネリーの戯曲『Beggar on Horseback 』をコフマンの許可を得てミュージカル化し、3回上演した。在学中、フラタニティBeta Theta Pi のメンバーで、1950年にラテン・オナーズのマグナ・カム・ロードを受賞し卒業した。 シットコム『Topper 』の脚本を執筆しながら、生活費を切り詰めるためハリウッドに住む父のダイニング・ルームに暮らし、音楽のオーディションを受け続けた。1940年代および1950年代の映画をむさぼるように鑑賞し、映画の知識でクイズ番組『The $64,000 Question 』の予選を通過した。ソンドハイムはミュージカル映画が好きでなく、『市民ケーン』、『怒りの葡萄』、『天国への階段(英語版)』などのクラシック・ドラマを好んだ。「マイケル・カーティスやラオール・ウォルシュなどの監督は私にとってヒーローだ。多くの映画を手掛け、どれも素晴らしい作品である。作品を作るのに文化的圧力を全く感じさせない」。 22歳の頃、ソンドハイムはハマースタインに指示された4作品を完成させた。当時まだ上演されていなかったジュリアス・J・エプスタインとフィリップ・G・エプスタインの『Front Porch in Flatbush 』をラミュエル・エイヤーズが製作しようと試みた。エイヤーズはフランク・レッサーなどの作曲家に依頼したが断られた。エイヤーズとソンドハイムはとある結婚式の付添人として出会い、エイヤーズはソンドハイムに3曲の作曲を依頼した。ジュリアス・エプスタインはソンドハイムを雇い、カリフォルニア州で4から5か月間共に製作活動を行なった。支援者を募り、予算の半額が集まった。『Saturday Night 』に改題し、1954年度にブロードウェイでの開幕を予定していたが、エイヤーズが40代前半で白血病で亡くなった。上演権は未亡人となったシャーリーに移り、経験不足から予定通りにいかなくなり、ようやく2000年にオフ・ブロードウェイで開幕した。のちにソンドハイムは「『Saturday Night 』には愛着以外の感情は何もなかった。23歳の若者には悪くなかった。気恥ずかしい歌詞、アクセントの違い、見え透いたジョークなどがあった。しかし私は深く考えないことにした。作品は自分の子供のようなものである。もう改変することはできない。子供なのだから」と語った。
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