ロジャース&ハート
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ロジャース&ハート(Rodgers and Hart)は、アメリカ合衆国の作曲家リチャード・ロジャース(1902年–1979年)と作詞家ロレンツ・ハート(1895年–1943年)によるソングライティング・パートナーシップ。1919年からハートが亡くなる1943年までミュージカル作品28本、500曲以上を作詞作曲した [1]。
- ^ a b Rodgers and Hart Biography Guide to Musical Theatre, accessed April 5, 2009
- ^ Zinnser, p. 31
- ^ Vinciguerra, Thomas. “Sing a Song of Morningside” (英語). The Varsity Show. 2022年1月9日閲覧。
- ^ a b Everett, p.747
- ^ Green, p. 127
- ^ Block, p. 43
- ^ Connema, Richard.Review, The Incomparable Andrea Marcovicci Sings Rodgers & Hart talkinbroadway.com, August 7, 2007
- ^ Block, p. 22
- ^ Everett, p. 754
- ^ Self Portrait
- ^ Nolan, p. 206
- ^ Hart Biography songwritershalloffame.org, accessed April 5, 2009
- 1 ロジャース&ハートとは
- 2 ロジャース&ハートの概要
- 3 楽曲
- 4 その他の活動
ロジャース&ハート
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「リチャード・ロジャース (作曲家)」の記事における「ロジャース&ハート」の解説
詳細は「ロジャース&ハート」を参照 1919年、ロジャースは兄の友人フィリップ・レヴィットの紹介でロレンツ・ハートと出会った。最初の数年はアマチュアの公演でミュージカル・コメディの作曲をしていたがなかなか芽が出なかった。1919年のブロードウェイ・ミュージカル・コメディ『A Lonely Romeo』の楽曲「Any Old Place With You」でプロ・デビューした。1920年、シグマンド・ロンバーグによる楽曲も使用された『Poor Little Ritz Girl』で初めてプロの作品の制作に携わった。次のプロ公演『The Melody Man』は1924年まで開幕されなかった。 大学卒業直後、ルー・フィールズの音楽監督として活動した。ノラ・ベイズ、フレッド・アレンなどが出演していた。ロジャースはショー・ビジネスを完全に辞めて子供用下着販売業に就こうとしたが、1925年にロジャース&ハートはようやくブレイクした。高名なシアター・ギルドのチャリティ・ショー『The Garrick Gaieties』のために作曲し、批評家たちはその新鮮さと爽快さを評価した。1日のみの上演であったが、ギルドはその品質により再演に同意した。この公演で最も注目されたのは楽曲「Manhattan」であった。以降2人はブロードウェイの有力作詞作曲家となった。 次の10年間、2人は『Dearest Enemy』(1925)、『The Girl Friend』(1926)、『Peggy-Ann』(1926)、『コネチカット・ヤンキー』(1927)、『Present Arms』(1928)などブロードウェイやウェスト・エンドの双方で公演をヒットさせた。彼らの1920年代の公演は「Here In My Arms」、「Mountain Greenery」、「ブルー・ムーン」、「My Heart Stood Still」、「You Took Advantage of Me」などのスタンダード・ナンバーを生み出した。 1930年代前半、世界恐慌が本格化し、より良い環境をハリウッドに求めた。意欲的なロジャースはこのやや閑散とした時期をのちに後悔していたが、実際はハートと共に『今晩は愛して頂戴ナ(英語版)』(1932)を手掛け、「Lover」、「Mimi」、「Isn't It Romantic?」というスタンダード・ナンバーを作り上げた。なお、この映画の監督ルーベン・マムーリアンはのちにロジャースのブロードウェイ・ミュージカル『オクラホマ!』の演出を務めた。以前にハートが作詞してカットされていた3曲を作曲したが、レコーディングもヒットもしなかった。4曲目の歌詞を作曲した「ブルー・ムーン」は2人の最大のヒット曲の1つとなった。映画作品は他にジョージ・M・コウアン主演の『お化け大統領(英語版)』(1932)、アル・ジョルソン主演の『Hallelujah, I'm a Bum』(1933)、2人がハリウッドを離れた後に急遽戻ることとなったビング・クロスビーとW・C・フィールズ主演の『ミシシッピ (映画)(英語版)』(1935)などがある。 1935年、ブロードウェイに戻り、1943年にハートが亡くなる直前まで、数多くのヒット・ミュージカルを作詞作曲した。中でも有名なのは『Jumbo』(1935)、ジョージ・バランシン振付のバレエ「10番街の殺人」が使用された『On Your Toes』(1936)、『Babes in Arms』(1937)、『I Married an Angel』(1938)、『The Boys from Syracuse』(1938)、『Pal Joey』(1940)、そして彼らの最後のオリジナル作品『By Jupiter』(1942)である。またロジャースはこれらの作品のうちいくつかの脚本にも貢献していた。 これらの公演で使用された楽曲の多く、「The Most Beautiful Girl in the World」、「My Romance」、「Little Girl Blue」、「I'll Tell The Man In The Street」、「There's a Small Hotel」、「Where or When」、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」、「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」、「恋に恋して」、「Bewitched, Bothered and Bewildered」、「Wait Till You See Her」などが今も歌い継がれている。 1939年、ロジャースは振付師マーク・プラットと共にバレエ・リュス・ド・モンテカルロのバレエ『Ghost Town』の作曲を行なった。
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