墜落事故による殉職と死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 03:54 UTC 版)
詳細は「2020年新北市ヘリコプター墜落事故」を参照 2020年1月2日、沈は春節の激励を行うために、宜蘭県東澳渓へと向かう予定であった。沈は12名の将軍・軍人とともに空軍のUH-60 ブラックホークに搭乗し、午前7時50分に松山空軍基地を離陸した。しかし、離陸から17分後(13分後という報道もある)にあたる午前8時7分頃に、機体は新北市烏来区付近で墜落し、航空レーダーから消失した。事故発生後、軍や警察、新北市政府消防局や宜蘭県消防局等が人員を派遣し、山中で捜索を始めた。午前10時50分に、国防部は記者会見を開催し、ヘリが烏来区の桶後渓に墜落したことを発表した。国防部は午後に再び記者会見を開き、搭乗していた13人中5人を救助し、沈を含む8人の死亡を確認したと発表した。享年65歳。 沈は殉職した中華民国国軍の軍人として史上最高位にいたため、総統である蔡英文は、軍の全部隊に3日間半旗にするよう指示を出した。また、事故発生の翌日にあたる1月3日に、沈に一級上将と青天白日勲章を追贈した。さらに、沈を含む事故で殉職した8人の犠牲者を追悼する場として、1月4日・5日に台北賓館の開放を承認し、台北賓館を訪れた多くの人が哀悼の意を示した。 沈の死は国内だけでなく、在任中に防衛面で協力を行っていたアメリカの軍人や政界も彼の死を惜しんだ。アメリカ統合参謀本部議長であるマーク・ミリーは、米軍の代わりに事故の犠牲者に哀悼の意を示し、沈に関して「台湾国民に格別の指導者であり、台湾の防衛や地域の安全保障の覇者として記憶されるだろう」と述べた。アメリカを代表して、米国在台湾協会は墜落事故に深く悲しんでいることを文書で公表し、「近年まで、米国在台湾協会の同僚は、沈参謀総長や殉職した他の同僚の方と楽しく協力し、米台間の安全保障協力を促進してきた。」と述べた。また、協会は哀悼の意を込め、事件の翌日に台北市内湖区にある新館のアメリカ国旗を半旗とした。 1月13日、国防部は沈を含む殉職した兵士の告別式を行った。棺を乗せた車列は、午後5時に台北市内の三軍総医院(中国語版)を出発後に、国防部にて30秒停車したのち、空軍司令部、海軍司令部を回った後に、最終的に空軍松山基地の指揮部へと向かう計13 kmのルートを回った。このルート内には官僚、兵士、市民が敬礼できるポイントが37か所設定された。車列が国防部に停車した際、蔡英文は国防部長・厳徳発、前国防部長・馮世寛、国家安全会議秘書長・李大維(中国語版)らを含めた館内の全ての官僚と兵士を率いて車列を迎え、追悼の意を込めて直接車列に挨拶を行った。 1月14日に、沈を含む犠牲者の合同葬儀が蔡英文主催の元、空軍松山基地で実施された。参列者には、米国在台湾協会会長・ブレント・クリステンセン(英語版)の他、台湾軍の合同葬儀としては久しぶりに現役のアメリカ軍准将と軍曹が参列した。この他にも、日本や大韓民国、シンガポール、フランスなどの国の駐台大使が参列した。葬儀では、殉職した兵士の昇進式、表彰、追悼を目的とした映画の放映、国旗の掲揚などが行われた後、数機のUH-60 ブラックホークとミラージュ2000がミッシングマンフォーメーション(英語版)で追悼飛行を行った。蔡英文は合同葬儀後の記者会見にて、沈と同じく殉職した士官長・韓正宏が生前推進していた、空降特戦部隊、航行する軍人、専業士官長への3つのボーナス支給政策を実施することを発表した。 葬儀後、沈の遺体は新北市汐止区にある国軍示範公墓(中国語版)に埋葬された。
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