墜落までの概略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:07 UTC 版)
「カシミールプリンセス号爆破事件」の記事における「墜落までの概略」の解説
カシミールプリンセス号にはインドネシアで開催されるバンドン会議を取材する新華社通信の記者3名とポーランドとオーストリアの通信社の記者など5名と中華人民共和国政府の派遣団6名ら乗客11名と乗員8名が搭乗していた。 1955年4月11日に香港を出発したカシミールプリンセス号は、離陸から4時間後、南シナ海上空18,000フィートを巡航している時に爆発音とともに右翼が炎上した。この時、機長は第3エンジンを停止しフェザー状態(風車のようにする)とともに、電気系統が不作動になる前に遭難信号を発信している。 操縦乗員は白煙によって視界が利かなくなり油圧系統が機能しなくなった困難な情況のなかで、ライフジャケットを用意したうえで不時着水を試みた。しかし、機体は不時着水の衝撃によって大きく3つに分解して水没してしまった。結局インドネシア沿岸警備隊に救助されたのは航空機関士と航法士と副操縦士の乗員3名だけで、残りの乗員乗客16名は溺死した。なお、最後まで操縦を試みていた機長は殉職したが、インド政府から勇敢な軍人に授与されるアショーカチャクラ勲章を、民間人としては初めて与えられた。
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