増村保造と三島由紀夫とは? わかりやすく解説

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増村保造と三島由紀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 22:45 UTC 版)

からっ風野郎」の記事における「増村保造と三島由紀夫」の解説

増村保造と三島由紀夫は、東京帝国大学法学部同期生で、1944年昭和19年)に法学部25教室初め出会った。特に親し交友関係はないが、顔見知りであった増村三島初め言葉を交わしたのは、戦争末期1945年昭和20年5月から勤労動員された神奈川県高座郡大和海軍高座工廠の寮においてだった。 私が三島さん初め会ったのは昭和十九年十月東大法学部二十五番教室の中であった太平洋戦争終る前の年で、二人とも一年生だったが、三島さんはいつも教室最前列坐り熱心に講義ノートを取る勤勉明る大学生だった。彼と初め話したのは、勤労動員陸軍のために毎日土堀りをやらされ翌年五月神奈川堀立ての丸太小屋の中だった。既に小説家として知られていた三島さんは、明るく熱心に英国詩人キーツなどを話題にして私たち快活に真剣に話し合った。その丸太小屋から出征した私は、終戦後再び大学戻ったが、選んだ課目コース違ったためか、三島さんと会うことも話すこともなかった。 — 増村保造三島由紀夫さんのこと」 三島疎遠になってしまった戦後は、増村大学卒業後に大映助監督として入社し、再び東大哲学科入学したまた、イタリア国立映画実験センター留学するなど、勉強熱心で、理論派系、芸術家肌、職人気質でもあり、溝口健二市川崑師事した後、1957年昭和32年)に監督昇進となった増村三島は約15年ぶりに『からっ風野郎』の撮影前大映多摩川撮影所再会した顔見知り2人映画打合せをし、三島スチール撮影に応じている時は、増村三島への厳しいしごきが始まるとはスタッフ予想できなかった。撮影現場での過剰な三島へのしごきは、会社企画対する不満の表れか、あるいは三島への対抗意識か、等々という噂が流れた増村監督があんまりきびしくビシビシやるので、三島さんとの間にいろいろまずい感情衝突トラブルがあったのではないか、というような噂だが、私をして言わしめれば、増村が、どこか無意識のうちに自分監督だぞ、という意識をもってエキサイトしておったのではなかろうか。普通の単なる学生とか、どこかのサラリーマン引っぱってきたということなら、彼もエキサイトしないのだが、相手大学同級三島由紀夫、しかも今をときめく文壇鬼才ということが、彼自身頭から抜けなかったのだろう。それが言動の上にも現われた。 — 永田雅一俳優三島由紀夫論市川崑は、「ワキ役に使うならともかく、三島さん主役作品引き受けるなんて、ずいぶんソソっかしい」と増村言ったが、「ほかの人がやるよりは、僕の方が三島さん生かせると思ったその意味で僕がいちばん三島さん大切にしているといえるんじゃないか」と増村自負していた。 映画完成し増村大田区馬込東(現・南馬込)の三島邸に招待された際、三島の父・から、「下手な役者をあそこまできちんと使って頂いて」と礼を言われた。三島怪我をさせて申し訳ない思っていたのに逆に礼を言われ増村は、藤井浩明との帰り道で、「明治生まれの男は偉い」と、褒めていたという。 三島死後増村は『からっ風野郎』での三島奮闘ぶりを振り返り、「どんなにしごかれても、半日テスト繰り返されても、三島さん不平一つ言わず何の反抗示さず黙々と羊のように従順にテストをやりつづけた」と敬服し、「大部屋端役俳優ならともかく、一流流行作家が私に何度も怒鳴られながら、一心になって一月芝居をやり抜いたのである」と三島根性を讃えた。 その三島さんを見ていて、私は何と誠実で、真剣で、明るい人だろうと思った。『からっ風野郎』を撮り終って三島さんの家に招かれ話したときも、バア飲み行ったときも、この三島さん態度は全く変わらなかった。若い大学生のように快活で、素直で、真面目だった。 — 増村保造三島由紀夫さんのこと」 増村三島の死の2年後に、『音楽』を映画化し三島描いた難しテーマ映像化することに挑んだ

※この「増村保造と三島由紀夫」の解説は、「からっ風野郎」の解説の一部です。
「増村保造と三島由紀夫」を含む「からっ風野郎」の記事については、「からっ風野郎」の概要を参照ください。

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