地名の語源
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語源はParisii(パリシイ、パリースィイとも。複数形。単数形はParisius「田舎者、乱暴者」)で、ローマ人が入ってくる以前からの先住民であるケルト系部族の、ローマ側からの呼称である。欧州の言語の中で古い時代の痕跡をとどめているギリシャ語ではΠαρίσι(パリーズィ)、イタリア語で Parigi(パリージ)と発音される。フィンランド語で Pariisi(パリースィ)と発音されるのはこれに由来しているという説がある。ルーテティア(・パリースィオールム)Lutetia(Parisiorum)、 「パリシイ族の、水の中の居住地」(シテ島のこと)とも呼ばれていた。
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地名の語源
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「気仙沼」は古くは延喜元年(901年)成立の日本三代実録に「計仙麻(ケセマ)」という地名の記述があり、これが、歴史上「ケセヌマ」という言葉が載っているもっとも古い文献であるとの説があるが、これは明白に誤りである。正しくは、気仙郡という郡名は『続日本紀』の弘仁2年(811年)の条が初出である。それ以前のいつかの段階で、桃生郡の北半分を分割して、陸奥国 気仙郡が建郡された。これは現在の宮城県北東部および岩手県南東部にまたがるものであり、現在の気仙沼市および本吉郡を含むものであった。また平安中期の『和名抄』の各国郷名一覧には陸奥国気仙郡に「気仙郷」とは別に「気前郷」が見える。和銅6年(713年)の諸国郡郷名著好字令(好字二字令)により、奈良時代に国名、郡名、郷名が2文字表記と定められたので、この「気前郷」は「気仙前郷」が略されたものとされる。気前郷は、気仙郡の前(さき、道を行った先の方)の意味と解して今の釜石、大槌辺りに比定する説があるが、古代の地名の「前・後」は通常は「くち・しり」と読んで京都に近い方が「前」であるから、気前郷は「けせのくち」であり気仙郡の南端であるべきで、これを「けせのまえ」と誤読したことから「計仙麻」(けせのま)という地名が生まれた可能性もある(下記に詳述)。 語源としては以下のように諸説がある。
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地名の語源
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「クヴァーケンブリュック」の記事における「地名の語源」の解説
1235年に quakenbrugge という表記で初めて登場するこの奇妙な街の名前の確たる意味はほとんど分かっていない。後半部分が川を渡る橋(ドイツ語: Brücke) であることは明らかであるが、前半部分については数多くの推測がなされている。ビャクシンの古い表記が quakeln であり、少なくない研究者がこの街の名前を「たもとにビャクシンのある橋」と解釈している。しかし、大昔はハーゼ川の沼地であったこの地域に、いつビャクシンがあったのか疑わしい。これに対して、「小径」「小さな橋」を意味する古いオランダ語の kwak だとする説がある。ほとんどの研究者は歴史家ヘルマン・ロテールトが唱える以下の説に賛同している。 クヴァーケンブリュックという名前は、カウキー族 (Chauken) と同様、アングロサクソン語の Chauken(震える)に由来する。古英語の quagmire、ユトランド語の kvag はこの言葉に由来するが、どちらも「沼地」を意味する。カウキー族は海岸の沼地に住む人であり、クヴァーケンブリュックは揺れる小径に架かる橋、あるいはもっと直接的に揺れる沼地の上に架かる橋を意味している。 —ヘルマン・ロテールト、Geschichte der Stadt Quakenbrück in älterer Zeit 近代のこの街を示すキャラクターであるオタマジャクシ (ドイツ語: Kaulquappen) やカエルとは関係がない。
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地名の語源
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ヴァールブルク (Warburg) という地名の語源は、Ward(古高ドイツ語: Warta)、すなわち現代の標準ドイツ語では Warte にあたる「見張りをする場所」を意味する語にラテン語の語尾 –berg または –burg がついたものである。ヴァールブルクの新市街は、大きな岩山(海抜 230 m)の上にある。かつては天然の要害であり、周辺を一望できることから見張り台として利用されていた。この街は歴史上、様々な表記がなされている: Wartberg、Wartberc(h)、Wartberg(h)(i)、Wardburg、あるいは Wartborch、Warberghe、Waretberg、Wardberch。また、低地ドイツ語では、この街は Warb(e)rich とも表記される。
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地名の語源
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ギリシャ神話の人物キリクス (Κίλιξ) からきている。また、フェニキアかアッシリアの王子キリック(キラック)からきているともいわれる。
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