地名や建物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 09:39 UTC 版)
ウーヤン伝説の最も古い物証が、広州にある「五仙観」である。北宋時代には十賢坊(現在の広州地方財政庁付近)に5人の仙人を祀る寺院があった。南宋時代に幾度か移転するも、明の時代に火災に見舞われ、1377年に坡山に移って現在に至る(以後700年間で、1469年と1723年に改修工事が二度行われた)。中華民国の時代、1923年に戦争資金調達のため自治体が寺院を競売にかけてしまったが、中華人民共和国成立後に政府がそれを国有化して国家文物局の管理とし、1980年代に修復されたのち一般公開された。同寺院は1963年3月に広州市の文物保護単位に指定され、1989年6月に広東省の保護へと昇格した。現在、五仙観には仙人5人の彫像がヤギ5頭の石像と共に置かれ、5人の仙人は「穀神(豊作の神)」として崇められている。また、長さ1mに及ぶ足跡状の凹みがある巨大な赤い砂岩があり、こちらは「仙人拇迹」と呼ばれている。 五仙観の他にも広州市にはこの伝説に関連する地名が幾つかある。例えば、恵福西の通りにある「仙隣巷」は五仙観旧跡の近隣にあったことから命名された。海珠中路は清代に「仙羊街」「西濠街」と呼ばれ、これが統合して海珠路の一部となった。明の嘉靖年間に人々が築いた広州の新たな城の南門が「五羊門」と呼ばれており、清代に「五仙門」と改名された。また、その門のそばには「五羊駅」という休息所があった。1900年代初頭には「五羊発電所」があった。 越秀公園にはウーヤン伝説の五羊石像がある。これは1959年に建造されたもので、現在は広州で有名な観光地の1つであり、広州市のランドマークと見なされている。 現代でウーヤンと関連した地名としては、越秀区に五羊新城という区画があり、そこには五羊小学校や五羊中学校のほか五羊邨駅という地下鉄の駅もある。
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