スポーツとしてのベースジャンピング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:15 UTC 版)
「ベースジャンピング」の記事における「スポーツとしてのベースジャンピング」の解説
1990年代に起こったエクストリーム・スポーツブームは、ベースジャンピングを発展させ、また認知度を向上させた。しかし、依然としてスポーツとしてではなく無謀なスタントとして認識された。 非常に高度で熟練した活動であっても、記録や競技会のような、技量を客観的に測り認識する方法が欠けていることが、スポーツとして認められるうえでの一つの障害となった。 ベースジャンプの記録 ギネスブックに最初に載せられたベースジャンピングの記録は、1984年、カール・ボーニッシュによるノルウェーのトロルベッゲン(トロルウォール)からのジャンプである。「最も高いベースジャンプ (The highest BASE jump) 」として記録された(ボーニッシュが同じ場所で亡くなる2日前の記録)。「最も高い」は、標高ではなく落差を意味している。このカテゴリは2006年現在もギネスブックに記載されており、ニック・フェイテリス (Nic Feteris) とグレン・シングルマン (Glenn Singleman) によるパキスタンのトランゴ・タワーズ(5,995メートル)からのジャンプが記録されている。2006年5月23日、グレン・シングルマンとヘザー・シングルマン(Heather Singleman)は、インドのメル山(6,604メートル)からジャンプを成功させ、スタート地点の標高記録は更新された(落差はトランゴタワーズと同程度とされ、ギネスブックの記録は更新されない)。 しかし、様々な環境で行われる異なるジャンプを直接比較することはしばしば意味の無いことと指摘される。ギネスに記載されたもう一つの記録として「最も年を取ったベースジャンパー」があるが、これはスポーツの技能と何の関係もない。また「最も低いベースジャンプ」はギネスでは認められていないが、よく議論される。 競技会 ベースジャンピングの競技会は1980年代前半に始められた。正確な着地やフリーフォール時の曲芸飛行などが競技の審査基準として採用された。近年では公式の競技会も見られ、マレーシアにある超高層ビルのペトロナスツインタワーでは、約400mの地点から着地の正確さを競う大会が開催された。 装備の進化と、技術が広まった事でベースジャンピング草創期よりも安全になったが、依然として怪我や死亡事故は時々発生する。自由落下のまま地面に墜落したり、障害物への接触による死亡事故はしばしば起こるが、それよりも着地する地点が危険であったり、パラシュートを開いた後に起きる別の問題によるものの方が起こりやすい。あまり公に行われないというベースジャンピングの特質上、リスクを統計的に調べ、確かなデータを得ることは難しい。一説では競技人口は世界で4,000人程度で累計の死者は30数人と言われる。この危険性もスポーツとして認められるための障害の一つである。 ベースジャンプをするジャンプ場所はあまり一般に公開されていない。もし公開してしまうと、装備や技術が貧弱でも、誰でも一人でジャンプできてしまうため、事故が多発するからである。また、ジャンプする場所が合法であるか違法であるかにかかわらず事故は発生する。そのため、ベースジャンパー達は合法的なジャンプ場所であっても、その場所を直接地名や建物の名前などで表現せず、「橋の日の場所」や「北イタリアの人気の断崖」のように分からないようにぼかす。ベースジャンピングを始める人は、ベースジャンピングのコミュニティーに問い合わせ、ベテランのベースジャンパーにジャンプ場所や技術を教えてもらう必要がある。このことはスポーツ普及の障壁となるが、安全のための防護壁にもなっている。 依然としてベースジャンパー達はたいてい世間から挑戦者と見られ、また過激で危険なスポーツとしてみられているが、ジャンパー達の技術や新たなジャンプ地点の探求、合法的な活動などによって、近年は着実にスポーツとして認められつつある。
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