地名としての相武台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/19 06:12 UTC 版)
陸軍士官学校の移転に際して、学校の敷地となる座間村と新磯村とで合併による町制の施行が構想された。しかし「座間町」へ吸収されることを恐れた新磯村側は合併に消極的で、結局座間村は士官学校への天皇行幸のあった1937年(昭和12年)12月20日に単独で町制を施行して「座間町」となった。新磯村では1938年(昭和13年)2月になってようやく「座間」を「相武台」に改めることを条件とする合併案が村会で可決されたが、すでに単独で町制施行を行った座間町の受け入れるところとならず、この合併は成立しなかった。 1940年(昭和15年)、相次ぐ陸軍施設の進出を背景に高座郡北部の9町村(座間町・新磯村・麻溝村・上溝町・田名村・大沢村・相原村・大野村・大和村)の合併による相模原軍都建設計画が持ち上がった。その際、合併によって発足する新しい市の名称候補の1つとして相武台市が挙がったが、陸軍士官学校側から「相武台」は天皇から士官学校に下賜された呼称であるから市名として使用することは認められないとの強い反対があり、1941年(昭和16年)4月29日に8町村(大和村が離脱)の合併で発足した町(市制施行は内務省に認められなかった)は高座郡相模原町となった(なお、旧座間町の区域は戦後の1948年(昭和23年)に分離して座間町が再置された)。 1941年(昭和16年)1月1日、小田急線の「士官学校前駅」が「相武台前駅」と改称された。同日に「相模大野駅」と改称された「通信学校駅」とともに防諜上の理由からと説明される。同様に相模鉄道(現JR相模線)の「陸士前駅」も「相武台下駅」と改称された。 敗戦後、陸軍士官学校が解体されると「相武台」の名称は付近の地名として広く用いられるようになった。相模原市(1954年(昭和29年)市制)と座間町(1971年(昭和46年)に市制施行して座間市)の双方で相武台が公式の行政地名となっている。 座間町(→座間市)相武台 北緯35度29分55秒東経139度24分38.3秒 1961年(昭和36年) 大字座間入谷、座間、栗原の各一部から字名変更し大字相武台が起立。 1974年(昭和49年) 町名変更を実施し相武台1 - 4丁目となる。(こちらは2013年(平成25年)まで住居表示が行われていなかった) 相模原市相武台 北緯35度30分1.6秒東経139度24分22.9秒 1969年(昭和44年) 大字新戸、新磯野の一部で住居表示を実施し相武台一丁目-三丁目が起立。 1967年(昭和42年) 相模原市大字新磯野に神奈川県住宅供給公社によって相武台団地が造成された。1969年(昭和44年)に住居表示を実施し相武台団地という町名になる。 2010年(平成22年) 相模原市の政令指定都市移行による区制実施により、同市南区の町名となる。 公共施設 相模原市相武台まちづくりセンター - 1970年(昭和45年)に相武台出張所として開設。2010年(平成22年)、政令指定都市施行に合わせ改称。 相模原市立相武台小学校 - 1968年(昭和43年)開校。 相模原市立北相武台小学校 - 1976年(昭和51年)開校。 相模原市立相武台中学校 - 1976年(昭和51年)開校。 座間市立相武台東小学校 - 1970年(昭和45年)開校。 神奈川県立相武台高等学校 - 1979年(昭和54年)開校。2011年(平成23年)4月より神奈川県立新磯高等学校と統合して神奈川県立相模原青陵高等学校となる。 その他 座間市相武台と相模原市相武台は市境をはさんで隣接し、市街地が連続する。小田急相武台前駅は座間市相武台に属する。 座間市相武台だけでなく相模原市相武台も座間郵便局の管轄であり、郵便番号は座間市相武台が252-0011、相模原市相武台が252-0324である。
※この「地名としての相武台」の解説は、「相武台」の解説の一部です。
「地名としての相武台」を含む「相武台」の記事については、「相武台」の概要を参照ください。
- 地名としての相武台のページへのリンク