相武台団地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/22 22:10 UTC 版)
相武台団地 | |
---|---|
町丁 | |
北緯35度30分42秒 東経139度24分35秒 / 北緯35.511581度 東経139.409717度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
行政区 | 南区 |
地区 | 相武台地区 |
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在[1]) | |
人口 | 4,267 人 |
世帯数 | 2,404 世帯 |
面積([2]) | |
0.299704805 km² | |
人口密度 | 14237.34 人/km² |
設置日 | 1969年(昭和44年)7月1日 |
郵便番号 | 252-0323[3] |
市外局番 | 046(厚木MA)[4] |
ナンバープレート | 相模 |
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相武台団地(そうぶだいだんち)は、神奈川県相模原市南区の町丁。現行行政地名は相武台団地一丁目から相武台団地二丁目。住居表示実施済区域[5]。
地理
相模原市南区の南西部に位置している。町内の大部分を神奈川県住宅供給公社の相武台団地が占めている。南部には相模原市立相武台小学校、相武台中央幼稚園、相武台新日本こども園などがある。
歴史
以下、沿革節の主要な出典は<神奈川県住宅供給公社公式サイト[6]>・<『郷土史としての相武台陸軍士官学校』涌田佑/著 平成18年11月1日発行>・<『郷土史としての米軍キャンプ座間』涌田佑/著 平成21年11月1日発行>参照。
元々この地は高座郡新磯村大字新戸と大字磯部であり、1937年(昭和12年)に陸軍士官学校の座間への移転に合わせて、1936年(昭和11年)6月より新磯村から北隣の麻溝村にかけての台地上の土地の大部分が陸軍に買収され、士官学校の相武台練兵場・演習場となった[7][注釈 1]。
陸軍に演習場として土地を買収された新磯村・麻溝村の失地耕作者の対応として麻溝村東端付近一帯に、昭和11年12月認可の「芝野耕地整理組合」を設立。しかし面積は失地地積の六分の一に過ぎず、さらに昭和12年12月知事の認可を得て「芝原耕地整理組合」を設立した。昭和15年3月建立の記念碑が相模原公園体育館駐車場、交番の近くに移設。記念碑裏面には当時の関係者77名の名が刻まれている。尚、麻溝村失地耕作者の内30名は陸軍士官学校その他に就職した[8]。
終戦後、相武台練兵場・演習場は払下げられ、新磯野・相武台三丁目の大部分・相武台団地・相模台三丁目~七丁目の区域は相武台下駅付近の座間の各所[注釈 2][9]に居住していた旧士官学校の将校・陸士生が、相模台一丁目・二丁目・麻溝台は外地からの引揚者が入植し、この払下げ地を開拓[10]。1947年12月15日農業協同組合法が施行され、翌年 『相武台下開拓農業組合』[注釈 3]を創設。
同時期、東久邇宮首相の「国民皆農主義」の呼びかけもあって、皆が先を争って農業へと回帰することが時代の風潮となった。急ごしらえの「帰農組合」が日本各地で作られ、耕せるところはどこでも耕そうと、耕作地の拡大に積極的に取り組んだ[注釈 4]。その政策に基づき農業集落として、相武台団地含む新磯野・相模原市相武台三丁目・相模台三丁目~七丁目は一括りに「新磯台帰農」、相武台一丁目・二丁目は「相武台前」、相模原市相模台一丁目・二丁目は「新興帰農」とされた[注釈 5][11][12]。
1951年1月、旧軍用地であった大字新戸と大字磯部の各一部を合わせ、新たに大字新磯野として起立、同時に地番整理を実施した[13]。
1961年、当該地域に神奈川県住宅供給公社が相武台団地建設予定地の用地買収を開始、1964年7月着工[14][注釈 6]。1967年1月竣工。
1969年7月1日、大字新磯野より相武台団地一丁目・二丁目が起立、同時に住居表示実施。
年表
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)
- 9月30日 - 陸軍士官学校移転完了[17]。
- 1941年(昭和16年)4月29日 - 高座郡北部の8町村、大野村、新磯村、上溝町、麻溝村、大沢村、田名村、相原村、座間町が合併し人口4万8,482人の高座郡相模原町が成立[18][注釈 8][注釈 9]。当該区域は相模原町の一部となる。
- 1945年(昭和20年)
- 1951年(昭和26年)1月 - 旧陸軍士官学校相武台練兵場であった大字新戸と大字磯部の各一部を合わせ新たに大字新磯野として起立、同時に地番整理を実施。当該地域は高座郡相模原町大字新磯野となる[20]。
- 1952年(昭和27年)4月28日 - 日本国主権回復[注釈 13]
- 1954年(昭和29年)11月20日 - 高座郡相模原町、市制施行。相模原市となる。人口8万0,374人(全国で453番目、県下で10番目)。当該地域は相模原市大字新磯野となる。
- 1961年(昭和36年)月日不詳 - 新磯野にて神奈川県住宅供給公社による相武台団地建設用地買収始まる[21][注釈 14]。
- 1964年(昭和39年)7月 - 着工[22]。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 1985年(昭和60年)3月26日 - 村富線全面開通[37][38]。
世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在(国勢調査)の世帯数と人口(総務省調べ)は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
相武台団地一丁目 | 1,319世帯 | 2,273人 |
相武台団地二丁目 | 1,085世帯 | 1,994人 |
計 | 2,404世帯 | 4,267人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[39] |
6,693
|
2000年(平成12年)[40] |
5,934
|
2005年(平成17年)[41] |
5,336
|
2010年(平成22年)[42] |
4,867
|
2015年(平成27年)[43] |
4,429
|
2020年(令和2年)[1] |
4,267
|
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[39] |
2,374
|
2000年(平成12年)[40] |
2,358
|
2005年(平成17年)[41] |
2,344
|
2010年(平成22年)[42] |
2,318
|
2015年(平成27年)[43] |
2,293
|
2020年(令和2年)[1] |
2,404
|
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年5月時点)[44]。
丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
相武台団地一丁目 | 4〜5番 | 相模原市立相武台小学校 | 相模原市立若草中学校 |
1番、6〜7番 | 相模原市立もえぎ台小学校 | ||
相武台団地二丁目 | 1番、7〜8番 | 相模原市立相武台中学校 | |
2〜3番、5〜6番 | 相模原市立相武台小学校 |
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[45]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
相武台団地一丁目 | 4事業所 | 38人 |
相武台団地二丁目 | 23事業所 | 216人 |
計 | 27事業所 | 254人 |
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[46] |
18
|
2021年(令和3年)[45] |
27
|
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[46] |
145
|
2021年(令和3年)[45] |
254
|
交通
施設
- 相模原市立相武台小学校
- 相模原相武台団地郵便局[47]
その他
日本郵便
脚注
注釈
- ^ 相模原市南区相模台全域、相模原市南区相武台三丁目大部分、新磯野全域、相武台団地全域、麻溝台全域が軍用地として買収された。座間市相模が丘・広野台は軍用地接収を免れた。
- ^ 座間上宿や座間天台など。『郷土史としての相武台陸軍士官学校』p87涌田佑/著 平成18年11月1日発行●六章:米軍接収と練兵場開拓ー相武台下開拓農業組合ー、『郷土史としての米軍キャンプ座間』p34涌田佑/著 平成21年11月1日発行●二章:旧陸士からキャンプ座間へー「相武台下開拓農業組合の名簿確認」ー相武台下組合員の住居地図ー
- ^ この開拓組合が実際に開拓した場所は相模原市立相武台小学校や相武台団地付近一帯で「相武台下」と言う地名ではないのだが、大多数の組合員が相武台下駅付近に居住していたことがその名の由来である。『郷土史としての米軍キャンプ座間』p31・p32 涌田佑/著 平成21年11月1日発行●二章:旧陸士からキャンプ座間へー「相武台下開拓農業組合の名簿確認」ー。
- ^ 『麻溝台地区の生い立ち』p83 発行日:平成22年4月1日 発行:麻溝台地区郷土誌編纂委員会
- ^ ここで言う「帰農」は、戦後、軍属を解かれた者、退役軍人や復員除隊した者、陸軍士官学校の将校・陸士生、外地からの引揚者が開墾した耕地のこと。帰農と名の付いている農業集落は旧陸士演習場払下げ地である。
- ^ 『郷土史としての相武台陸軍士官学校』p87涌田佑/著 平成18年11月1日発行●六章:米軍接収と練兵場開拓ー相武台下開拓農業組合ーには「公社から相武台団地土地買収の申し込みがあったのは昭和36年、建設が始まったのは昭和37年」と記してある。1962年に用地造成工事開始の後、団地建設工事の着工は1964年7月。
- ^ 相模原市南区相模台全域、相模原市南区相武台三丁目大部分、新磯野全域、相武台団地全域、麻溝台全域が軍用地として買収された。座間市相模が丘・広野台は軍用地接収を免れた。
- ^ 『相模原市史第4巻』p650には「昭和16年4月29日天長節の佳日、二町六か村は合併し、ここに面積108.71平方キロメートル、人口45,482人の町としては日本最大の相模原町が誕生した。※原文ママ」の記述あり。
- ^ 1948年(昭和23年)9月1日、旧座間町域(座間市域)が相模原町から分離独立し、高座郡座間町が再置される
- ^ 日本の全国民と全軍にポツダム宣言受諾と日本の敗戦を表明し、この時点で一部地域を除き、ほぼ全ての日本軍の戦闘行為が停止された。『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 pp.277-278
- ^ 『郷土史としての相武台陸軍士官学校』p82涌田佑/著 平成18年11月1日発行【米駐留軍の陸士接収】には「昭和20年9月5日、米陸軍第一騎兵師団第四平站廠として米軍進駐」とある。
- ^ 昭和22年12月15日に農業協同組合法が施行され、開拓者たちは昭和23年4月に『相武台下開拓農業組合』を創設した。実際に開拓した場所は相模原市立相武台小学校や相武台団地付近一帯で「相武台下」と言う地名ではないのだが、大多数の組合員が相武台下駅付近に居住していたことがその名の由来である。『郷土史としての米軍キャンプ座間』p31・p32 涌田佑/著 平成21年11月1日発行」●二章:旧陸士からキャンプ座間へー「相武台下開拓農業組合の名簿確認」ー。
- ^ 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、第二次世界大戦終結(日本の降伏)の1945年(昭和20年)9月2日以降、連合国軍占領下により停止状態にあった日本の主権が回復した日付に基づく。
- ^ 『郷土史としての相武台陸軍士官学校』 涌田佑/著 平成18年11月1日発行●六章:米軍接収と練兵場開拓ー相武台下開拓農業組合ーp87には「公社から相武台団地土地買収の申し込みがあったのは昭和36年、建設が始まったのは昭和37年」と記してある。昭和37年に用地の造成工事がはじまり、団地建設工事の着工は昭和39年7月。
- ^ 住所:相模原市新磯野1402番地。募集戸数:680戸。募集時期:昭和42年4月20日頃迄。入居時期:昭和42年5月、7月、10月、11月。横浜市中区にある公社の電話番号、市外局番は045、市内局番がまだ2桁である(横浜市内局番3桁化は昭和42年8月20日である。例・20局→201局)
出典
- ^ a b c d “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年7月17日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “相武台団地の郵便番号”. 日本郵便. 2022年4月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “住居表示実施区域一覧”. 相模原市 (2022年6月21日). 2023年7月16日閲覧。
- ^ “団地紹介~空でつながる~相武台・相模原市南区/1967年~竣工”. 神奈川県住宅供給公社. 2024年1月13日閲覧。
- ^ 『郷土史としての相武台陸軍士官学校』p82・p83涌田佑/著 平成18年11月1日発行」●六章:米軍接収と練兵場開拓ー戦後の開拓農地協同組合ー
- ^ 『相模原市史第4巻』p566~p568軍関係諸施設の市域転入と農村の対策
- ^ “座間市字概略図”. のうかる. 2016年12月7日閲覧。
- ^ 『郷土史としての相武台陸軍士官学校』p86~p88涌田佑/著 平成18年11月1日発行●六章:米軍接収と練兵場開拓ー相武台下開拓農業組合ー
- ^ “神奈川県相模原市南区 (14153)”. 農業集落境界データセット. 2024年11月2日閲覧。
- ^ ※江戸時代に開発された土地を「新田」、明治以降のものは「新開」、戦後のものは「開拓」と呼ばれている。※p,24参照。“橋本の歴史ガイドブック改訂版p24”. 橋本の歴史を知る会. 2024年12月28日閲覧。
- ^ 「地名調査報告書」p44 相模原市教育委員会、1984年3月31日発行
- ^ “住みよい暮らしを創る神奈川県住宅供給公社20周年記念誌1971年11月”. 神奈川県住宅供給公社. 2024年1月13日閲覧。
- ^ “軍都”. さがみはらデジタルアーカイブ. 2025年3月25日閲覧。
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- ^ “9.戦争(せんそう)と相模原”. 相模原市. 2024年12月16日閲覧。
- ^ 『占領下の東京』佐藤洋一 p,84(河出書房新社)2006年
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- ^ “日本電信電話公社関東電気通信局『関東電信電話百年史. 上』(1968.03)”. 渋沢社史データベース. 2024年12月25日閲覧。
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- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。
関連項目
- 相武台団地のページへのリンク