在函館米国領事館とは? わかりやすく解説

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在札幌米国総領事館

(在函館米国領事館 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 13:52 UTC 版)

在札幌米国総領事館
Consulate-General of the United States in Sapporo
所在地 日本
住所北海道札幌市中央区北1条西28丁目
座標北緯43度03分23.0秒 東経141度18分49.8秒 / 北緯43.056389度 東経141.313833度 / 43.056389; 141.313833座標: 北緯43度03分23.0秒 東経141度18分49.8秒 / 北緯43.056389度 東経141.313833度 / 43.056389; 141.313833
総領事マーク・ウェベルス(首席領事)
ウェブサイト公式ウェブサイト

在札幌米国総領事館(ざいさっぽろべいこくそうりょうじかん、英語: Consulate-General of the United States in Sapporo, U.S. Consulate General Sapporo)は、アメリカ合衆国日本北海道札幌市に設置している総領事館である。1952年4月28日に開設された[1]

歴史

札幌の米国領事館・総領事館は第二次世界大戦後に開設されたばかりだが、北海道における米国領事館・代理領事事務所の歴史は幕末の安政年間までさかのぼることができる。

前史(1854年 - 1865年)

1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日米和親条約が締結されたことにより、日米両国の国交樹立と併せて、下田の即時開港と箱館(現・函館)の1年後の開港および下田と箱館へのアメリカ人の居留許可が定められた[2]1857年4月28日(安政4年4月5日)、アメリカ人外交官エリシャ・ライスが貿易事務官として箱館に来航した。1857年8月23日(安政4年7月4日)、老中堀田正睦のお墨付きを得たライス貿易事務官は箱館に常駐を開始する[3]

在函館米国領事館(1865年 - 1876年)

1865年1月18日(文久3年12月10日)[4]付でライス貿易事務官が箱館駐在の初代領事に任命されて、在箱館米国領事館在函館米国領事館英語: Consulate of the United States in Hakodate, U.S. Consulate Hakodate)。ライス領事は、明治維新後の1870年11月2日(明治3年10月9日)までその職にあった[3][5]。後任者として領事2名と副領事2名が館長を務めた後、1875年(明治8年)11月6日から1876年(明治9年)10月5日にかけてメリマン・コルバート・ハリスが最後の領事を務めた。1876年(明治9年)、改編のため在函館米国領事館は閉鎖された[5]。なお、当時領事館として使われた建物は現存しておらず、函館市弥生町4番に「旧アメリカ領事館跡」の案内板が設置されているのみである[6]

在函館米国代理領事事務所(1876年 - 1883年/1904年 - 1918年)

1876年(明治9年)、領事館に代わって在函館米国代理領事事務所英語: Consular Agency of the United States in Hakodate, U.S. Consular Agency Hakodate)が開設される。1877年(明治10年)1月3日、メリマン・ハリス前領事が留任する形で初代代理領事に就任して、1879年(明治12年)2月12日まで奉職した。1883年(明治16年)に代理領事事務所は一時閉鎖されたが、1904年(明治37年)に再開された。同年5月2日、エドワード・ジュリアン・キングが代理領事に就任して、1918年大正7年)9月30日までの14年にわたってその職にあった。同年11月15日、米国務省により函館の代理領事事務所が正式に閉鎖された。爾後、第二次大戦が終結するまで、函館を含む北海道全土にアメリカ合衆国の領事機関が置かれることはなかった[5]

米国政治顧問部札幌支部(1950年 - 1952年)

1945年昭和20年)、第二次世界大戦で大日本帝国を破ったアメリカ合衆国は、北海道を含む日本全土を占領して、自国が主導する連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の施政下に置いた[7]。GHQ占領期の1950年(昭和25年)、札幌市中央区北5条西8丁目に米国政治顧問部札幌支部英語: Sapporo Branch, Office of the U.S. Political Adviser)が開設された。館長たる政治顧問には、順にウィリアム・L・マジストレッティ (William L. Magistretti)、リチャード・ボズウェル・フィンデイヴィッド・ローレンス・オスボーン英語版が奉職した。この政治顧問部は占領期が終わるまで存続した[5]

在札幌米国領事館(1952年 - 1986年)

1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効したことにより日本国が独立する。これに伴い札幌の政治顧問部が閉鎖され、在札幌米国領事館英語: Consulate of the United States in Sapporo, U.S. Consulate Sapporo)として発足。北海道の米国領事機関としては34年ぶり、札幌の米国領事館としては史上初の開設が実現した。初代領事にはデイヴィッド・ローレンス・オスボーンが昇格する形で就任。1955年(昭和30年)に領事館が札幌市中央区北1条西13丁目に移転して、1978年(昭和53年)には領事館が円山公園近くにある現在の建物へ移転した[5]

在札幌米国総領事館(1986年 - )

1986年(昭和61年)11月21日、領事館が昇格して在札幌米国総領事館が発足した[5]

所在地

日本語
〒064-0821
北海道 札幌市 中央区 北1条西28丁目[8]
英語
Kita 1-jo Nishi 28-chome, Chuo-ku, Sapporo City, Hokkaido 064-0821[9]
最寄駅
地下鉄東西線円山公園駅

公館長

氏名(日本語) 氏名(英語) 着任 退任 備考
エリシャ・E・ライス Elisha E. Rice 1857年8月23日 1865年1月18日 貿易事務官[3]
エリシャ・E・ライス Elisha E. Rice 1865年1月18日 1870年11月2日 領事(留任)[5]
アンブローズ・C・ダン Ambrose C. Dunn 1870年11月3日 1871年5月15日 領事[5]
ネイサン・エモリー・ライス Nathan Emory Rice 1871年5月16日 1871年7月14日 副領事[5]
エリシャ・E・ライス Elisha E. Rice 1871年7月15日 1871年10月6日 領事(再任)[5]
ジョージ・E・ライス George E. Rice 1871年10月7日 1872年3月31日 副領事[5]
ジョン・ハート・ホーズ John Hart Hawes 1872年4月1日 1875年11月6日 領事[5]
メリマン・コルバート・ハリス Merriman Colbert Harris 1875年11月6日 1876年10月5日 副領事[5]
メリマン・コルバート・ハリス Merriman Colbert Harris 1877年1月3日 1879年2月12日 代理領事(留任)[5]
ジョン・H・ダス John H. Duss 1879年2月12日 1880年8月25日 代理領事[5]
ウィリアム・C・デイヴィソン William C. Davisson 1880年8月25日 1882年9月19日 代理領事[5]
リー・W・スクワイア Lee W. Squier 1882年9月19日 1883年7月18日 代理領事[5]
空席 Vacancy
エドワード・ジュリアン・キング Edward Julian King 1904年3月2日 1918年9月30日 代理領事[5]
空席 Vacancy
ウィリアム・L・マジストレッティ William L. Magistretti 1950年1月 1950年10月 政治顧問[5]
リチャード・ボズウェル・フィン Richard Boswell Finn 1950年10月 1951年2月 政治顧問[5]
デイヴィッド・ローレンス・オスボーン英語版 David Lawrence Osborn 1951年2月 1952年4月 政治顧問[5]
デイヴィッド・ローレンス・オスボーン David Lawrence Osborn 1952年 1953年 領事(留任)[5][10][11]
ウィリアム・マジストレッティ William Magistretty 1953年 1953年 領事[11]
ハリー・F・ファイファー Harry. F. Pfeiffer, Jr. 1953年 1954年 領事[11]
ダニエル・メロイ Daniel Meloy 1954年 1956年 領事[11]
キングドン・W・スウェイン Kingdon W. Swayne 1956年 1958年 領事[11]
ジョン・ノウルズ John Knowles 1958年 1960年 領事[11]
ロナルド・A・ガイドゥク Ronald A. Gaiduk 1960年 1963年 領事[11]
ジョン・シルベスター John Sylvester, Jr. 1963年 1965年 領事[11][12]
ウィリアム・クラーク William Clark, Jr. 1965年 1967年 領事[11]
ウィリアム・タリー・ブリアー William Tully Breer 1967年 1968年 領事[11]
マーティン・G・ヘフリン Martin G. Heflin 1968年 1971年 領事[11]
スナオ・サカモト Sunao Sakamoto 1971年 1973年 領事[11]
スティーヴン・マーティン・エクトン Stephen Martin Ecton 1973年 1975年 領事[11]
ローレンス・F・ファラー Lawrence F. Farrar 1975年 1977年 領事[11]
ドナルド・B・ウェストモア Donald B. Westmore 1977年 1979年 領事[11]
クリストファー・ラフルアー中国語版 Christopher J. LaFleur 1979年 1980年 領事[11]
チャールズ・F・カートマン Charles F. Kartman 1980年 1982年 領事[11]
ロバート・C・レイス Robert C. Reis, Jr. 1982年 1984年 領事[11]
マーク・C・ミントン英語版 Mark C. Minton 1984年 1986年 領事[11]
ジョン・R・ディンガー英語版 John R. Dinger 1986年 1986年11月 領事[11]
ジョン・R・ディンガー John R. Dinger 1986年11月 1989年 総領事(留任)[11]
ロジャー・L・ダンケルト Roger L. Dankert 1989年 1992年 総領事[11]
デニス・J・オートブラッド Dennis J. Ortblad 1992年 1995年 総領事[11]
リチャード・M・ギブソン Richard M. Gibson 1995年 1996年 総領事[11]
マレーネ・J・サカウエ Marlene J. Sakaue 1997年 1998年 総領事[11]
W・マイケル・メザーブ W. Michael Meserve 1998年 2001年 総領事[11]
アレックス・P・ウィルジンスキー Alec P. Wilczynski 2001年 2004年 総領事[11]
マリー・Y・シェーファー Marrie Y. Schaefer 2004年 2007年 総領事[11]
ダーナ・アン・ウェルトン Donna Ann Welton 2007年 2010年 総領事[11][13]
ジョン・リース John Ries 2010年8月 2013年6月 総領事[14][15]
ジョエレン・ゴーグ JoEllen Gorg 2014年9月 2016年8月 首席領事[16]
レイチェル・ブルネット=チェン Rachel Brunette-Chen 2016年8月 2019年7月 首席領事[17]
アンドリュー・リー Andrew Lee 2019年8月 2022年8月 総領事[18][19]
マーク・ウェベルス Mark Wuebbels 2022年8月 (現職) 首席領事[20][21]

出典

  1. ^ 札幌市の国際施策(2016年度版) | 札幌市
  2. ^ 「函館市史」通説編2 4編序章1節3-4
  3. ^ a b c エリシャ・E・ライス領事、イリシャ・ライスとも、日米交渉、Japan-US Encounters 日米交流
  4. ^ 出典では「1865(元治1)年1月18日」(原文ママ)となっているが、文久から元治への改元は同年2月に行われており、元治元年1月は存在しない。西暦の1865年1月18日に対して、暦の違いや改元の時期を考慮せず機械的に元号を付記したものと推定される。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v History of U.S. Consular Activities in Hokkaido | U.S. Embassy & Consulates in Japan (英語)
  6. ^ 旧アメリカ領事館跡 | 道南ブロック博物館施設等連絡協議会
  7. ^ 但し、サハリン南部(南樺太)および北方領土は米国ではなくソビエト連邦が占領しており、同国を継承したロシア連邦が現在に至るまで実効支配している。
  8. ^ 在札幌米国総領事館 | 在日米国大使館・領事館
  9. ^ U.S. Consulate General Sapporo | U.S. Embassy & Consulates in Japan (英語)
  10. ^ Osborn, David L. (David Lawrence), 1921-1994 - Social Networks and Archival Context (英語)
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 北海道日米協会50年誌, 北海道日米協会, オリジナルの2020-01-23時点におけるアーカイブ。, https://archive.is/rSGDm 
  12. ^ Interview with John Sylvester Jr.”. Vietnam Center and Archive at Texas Tech. 2020年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月17日閲覧。
  13. ^ すべての人が誇りもち働ける社会へ 社会福祉法人プロップステーションがみえでフォーラム開催 | 公明新聞 2001年11月14日
  14. ^ ジョン・リース在札幌米国総領事ら一行が来学 | ニュース | 東北大学 -TOHOKU UNIVERSITY-
  15. ^ 北海道庁を訪れた外国の方々(H25.1~) | 総合政策部国際局国際課
  16. ^ 平成25年10月号 - 北海道千歳市公式ホームページ - City of Chitose
  17. ^ 在札幌米国総領事館首席領事 ブルネット‐チェン氏に聞く | 北海道建設新聞社 – e-kensin
  18. ^ 総領事アンドリュー・リー - 在日米国大使館と領事館
  19. ^ Consul General Andrew Lee - U.S. Embassy & Consulates in Japan (英語)
  20. ^ マーク・ウェベルス - 首席領事 - 在札幌米国総領事館 - 在日米国大使館と領事館
  21. ^ Mark Wuebbels - Principal Officer, Consulate General Sapporo - U.S. Embassy & Consulates in Japan (英語)

関連項目

外部リンク


在函館米国領事館(1865年 - 1876年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 21:17 UTC 版)

在札幌米国総領事館」の記事における「在函館米国領事館(1865年 - 1876年)」の解説

1865年1月18日文久3年12月10日)付でライス貿易事務官が箱館駐在初代領事任命されて、在箱館米国領事館(在函館米国領事館、英語: Consulate of the United States in Hakodate, U.S. Consulate Hakodate)。ライス領事は、明治維新後の1870年11月2日明治3年10月9日)までその職にあった後任者として領事2名と副領事2名が館長務めた後、1875年明治8年11月6日から1876年明治9年10月5日にかけてメリマン・コルバート・ハリスが最後領事務めた1876年明治9年)、改編のため在函館米国領事館は閉鎖された。なお、当時領事館として使われ建物現存しておらず、函館市弥生町4番に「旧アメリカ領事館跡」の案内板設置されているのみである。

※この「在函館米国領事館(1865年 - 1876年)」の解説は、「在札幌米国総領事館」の解説の一部です。
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