駐日スリランカ大使館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 02:16 UTC 版)
駐日スリランカ大使館 ජපානයේ ශ්රී ලංකා තානාපති කාර්යාලය ஜப்பானில் உள்ள இலங்கை தூதரகம் |
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スリランカ大使館外観(2008年)
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所在地 | ![]() |
住所 | 東京都港区高輪二丁目1-54 |
座標 | 北緯35度38分23.5秒 東経139度44分12.7秒 / 北緯35.639861度 東経139.736861度 / 35.639861; 139.736861座標: 北緯35度38分23.5秒 東経139度44分12.7秒 / 北緯35.639861度 東経139.736861度 / 35.639861; 139.736861 |
大使 | セサス・タンブガラ(臨代) |
ウェブサイト | www |

駐日スリランカ大使館(ちゅうにちスリランカたいしかん、シンハラ語: ජපානයේ ශ්රී ලංකා තානාපති කාර්යාලය、タミル語: ஜப்பானில் உள்ள இலங்கை தூதரகம்、英語: Embassy of Sri Lanka in Japan)は、東京都港区高輪にあるスリランカ民主社会主義共和国の大使館。二本榎通りに面している。在東京スリランカ大使館(英語: Embassy of Sri Lanka in Tokyo)とも呼ばれる。
住所
大使
2024年12月1日より、セサス・タンブガラが臨時代理大使を務めている[2]。
エピソード
2011年4月3日、カランナーゴダ駐日特命全権大使(当時、以下同)は、福島県田村市で福島第一原子力発電所事故の避難民たちにカレーライスを振る舞った。放射能汚染により大使館を閉鎖したり、外交官を東京から関西方面へ退避させる国家もある中、カランナーゴダ大使は予定を変えず3月末に着任。大使は「こんな時こそ日本との結束を示すために、私は送られてきた」と述べた。
日本在住のスリランカ人には「日本にとどまり日本人を助けるように」と伝えている。大使自らの福島入りは異例の事だったが、海軍出身で救援活動の経験もある大使は「日本は、スマトラ沖大地震の際に駆け付けてくれた真の友人だから」と強調した。
東日本大震災の被災者には、300万個の紅茶のティーバッグと80万米ドル(約8000万円)の義援金を出すことも発表している[3]。同年5月31日、カランナーゴダ大使は皇居で信任状捧呈式に臨み[4]、2015年2月に自身の夫人を伴い、皇居で離任の挨拶をして、特命全権大使を辞任するまで駐日大使を務めた[5]。
脚注
- ^ 駐日外国公館リスト アジア|外務省
- ^ “駐日各国大使リスト|外務省”. 外務省 (2024年12月23日). 2025年1月3日閲覧。
- ^ 中野渉 (2011年3月30日). “スリランカ大使「助けてくれた日本へ」 義援金8千万円”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103300378.html 2019年7月27日閲覧。
- ^ 外務省: 新任駐日スリランカ国大使の信任状捧呈 - 2011年6月1日
- ^ “ご引見(平成27年) - 宮内庁”. www.kunaicho.go.jp. 2019年7月27日閲覧。
関連項目
- 日本とスリランカの関係
- 在スリランカ日本国大使館
- 駐日ウズベキスタン大使館 - 駐日スリランカ大使館から最も近い外国公館
外部リンク
- 駐日スリランカ大使館 (日本語)(シンハラ語)(英語)
- 駐日スリランカ大使館 (@SLinJapan) - X(旧Twitter)
- 駐日スリランカ大使館 (SriLankaEmbassyTokyo) - Facebook
- 駐日スリランカ大使館 (@slembassyjapan) - Instagram
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