国鉄時代の優等列車
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「etSETOra」の記事における「国鉄時代の優等列車」の解説
「山陽本線優等列車沿革」も参照 1935年(昭和10年)11月:呉線の全通により、東京駅 - 下関駅間の急行7・8列車が呉線経由で運転されるようになる。 1945年(昭和20年)3月:呉線経由で運転されていた急行7・6列車(東京駅 - 門司駅間、ただし広島駅以西は運休扱い)が廃止。 1949年(昭和24年)9月15日:東京駅 - 姫路駅間で急行43・42列車が運転開始。 12月:急行43・42列車の運転区間が、東京駅 - 岡山駅間に変更。 1950年(昭和25年)5月:急行43・42列車の運転区間は東京駅 - 広島駅間に変更、列車番号は23・24列車となる。 10月1日:大阪駅 - 広島駅間(呉線経由)で準急307・308列車が運転開始。 11月8日:急行23・24列車は39・40列車に変更し「安芸」と名付けられる。 1953年(昭和28年)3月15日:「安芸」は列車番号を21・22列車に変更。 1956年(昭和31年)11月19日:ダイヤ改正により、京都駅 - 広島駅間(呉線経由)で準急305・306列車が運転開始。 1957年(昭和32年)10月1日:準急307・308列車の運転区間が京都駅 - 広島駅間に変更。 1958年(昭和33年)10月1日:準急305・306列車が急行列車に変更され、「宮島」と名付けられる。 1959年(昭和34年)9月22日:準急307・308列車が「ななうら」と名付けられる。 1960年(昭和35年)6月1日:岡山駅 - 広島駅間(呉線経由)で準急「吉備」が1往復運転開始。 1961年(昭和36年)10月1日:「宮島」にキハ58系気動車が投入される。大阪駅 - 広島駅間(呉線経由)で急行「音戸」が運転開始。「安芸」は列車番号を23・24列車に変更。 1962年(昭和37年)6月10日:「宮島」が山陽本線経由の運転になる。岡山駅 - 岩国駅間の準急「にしき」が呉線経由になる。 10月:「音戸」の運転区間が大阪駅 - 下関駅間に変更。 1964年(昭和39年)3月20日:「宮島」の運転区間が大阪駅 - 広島駅間(上り1号のみ新大阪行き)になる。広島駅 - 長崎駅間の急行「出島」の運転区間が、呉駅 - 長崎駅間に変更される。 10月1日:東海道新幹線の開業により、「音戸」の運転区間が新大阪駅 - 下関駅間に変更。 1965年(昭和40年)10月:「宮島」が大阪駅 - 広島駅間の1往復のみになる。「安芸」は列車番号を25・26列車に変更。 1966年(昭和41年)3月5日:「吉備」「ななうら」が急行列車になる。 1968年(昭和43年)10月1日:「ななうら」が「音戸」に統合されて廃止。「音戸」は2往復になる。「にしき」は急行化により「吉備」に統一され、「にしき」が廃止。「吉備」は2往復になる。「安芸」は列車番号を37・38列車に変更。 1970年(昭和45年)10月1日:呉線の電化により、「安芸」は大阪駅 - 呉駅間の急行列車になり、1往復が運転される。「宮島」が呉線経由に、「吉備」の1往復が山陽本線経由になり「山陽」に統合される。 1972年(昭和47年)3月15日:「吉備」「宮島」が「安芸」に統合され、運転区間が岡山駅 - 広島駅間(呉線経由)に変更し、3往復運転される。 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線博多駅開業により、「安芸」は新大阪駅 - 下関駅間の「音戸」が特急に変更された列車の1往復のみになり、「音戸」が廃止。 1978年(昭和53年)10月2日:「安芸」が廃止。
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