四遊記・西洋記
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『西遊記』が評判となると、その影響から明・清代には『西遊記』の模倣作品や、『西遊記』を意識した別の神怪小説作品が生れるようになる。それらのうち『東遊記』『南遊記』『北遊記』をオリジナルの『西遊記』と合わせて四遊記(しゆうき)と呼ぶことがある。 『東遊記』(全2巻56回。『八仙東遊記』、『上洞八仙伝』、『八仙出処東遊記伝』とも)は明の呉元泰の作。道教の仙人のなかでも有名な八仙(李鉄拐・漢鍾離・呂洞賓・藍采和・韓湘子・何仙姑・張果老・曹国舅)が東海に渡る時に龍王の太子と諍いを起こし、天界を巻き込む戦闘に発展するという神怪小説である。明代の戯曲『八仙過海』が元となっており、その段階では八仙のメンバーも固定化していなかったが、『東遊記』の流布以降は上記の八仙メンバーで固まったという。 『北遊記』(全4巻24回。正式には『北方真武玄天上帝出身志伝』)は、『水滸伝』や『三国志演義』に多くの増補を行ったことで知られる余象斗の編による玄天上帝の物語である。隋の煬帝の頃、玉皇上帝(玉帝)の三つの魂の一つが下界に降され、何度か転生した後に、浄楽国太子として武当山(太極拳発祥の地)で42年間修行を積み、天上に昇って玉帝に拝謁し、玄天上帝に封ぜられる。そして七星剣を手に、天界から下界に転生していた36員の天将(趙公明・関羽・馬元帥・雷公など)を帰順させ、平和をもたらしたという筋である。物語を隋の煬帝期としているのは、仏教の「劫」(kalpa、久遠の時間)の概念が道教へ転化された際につけられた天上宇宙の年号(龍漢・延康・赤明・開皇)の「開皇」が史実の隋の年号と混同されたものと思われる。 『南遊記』(全4巻18回。正式には『五顕霊官大帝華光天王伝』)も余象斗によるもので、馬華光を主人公とし、その母を救出するまでに至る物語である。華光は霊官馬元帥と呼ばれ、道教の四大元帥の一人。三つ目で風火二輪に乗る。元帥神は五代から宋にかけて、道教で信仰された武神である。『南遊記』では華光を釈迦如来の弟子の妙吉祥とし、如来の怒りを受けて下界に降された華光が転生を繰り返しながら騒ぎを起こし、玉帝から討伐軍として派遣された哪吒にも勝利する。その後鉄扇公主と知り合って結婚し、地獄で大暴れした後、孫悟空とも戦い、最終的には如来によって捕らえられ、仏道に帰依するという筋である。『南遊記』には孫悟空も登場するが、『西遊記』で出家したはずであるのに息子や娘がいることになっている。 四遊記と同様に『西遊記』を意識した題名をつけたものに、羅懋登の作になる『西洋記』全100回(正式には『三宝太監西洋記』)がある。永楽帝期に行われた宦官の鄭和(三宝太監)による南洋大航海の史実を元に作られた、海洋版『西遊記』ともいえる神怪小説である。『西遊記』で史実の玄奘の旅路と無関係な妖怪が多数出現するのと同様、史実の鄭和の航海とは関係のない異国の術士が多く立ちふさがる。ただし三蔵法師と同様、鄭和自身は大して活躍しない。史実の鄭和は回教徒であったが、『西洋記』では鄭和に同行する張天師(道教の教主)・金碧峰長老(実は燃灯仏)という道教と仏教の聖人が魔術で解決する。最終的には冥界まで到達し、明に帰国して皇帝に賞されるという筋となっている。『西洋記』の序文は万暦26年(1598年)に記されているため、世徳堂本とほぼ同時期の成立である。第21回に『西遊記』の内容を紹介した部分があり、三蔵が連れている弟子を斉天大聖・灙来僧(沙悟浄のことか)・朱八戒としており、弟子の順番および八戒の朱姓など、旧本西遊記に近い系統のテキストを参照した形跡も見られる。
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