唱導文学とは? わかりやすく解説

唱導(説経)文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 10:08 UTC 版)

説経節」の記事における「唱導説経文学」の解説

鎌倉時代末期虎関師錬によって著された『元亨釈書』巻二十九(「音藝志七」)には、 本朝音韻を以て吾道を鼓吹する者、四家あり。経師と曰ひ、梵唄ぼんばい)と曰ひ、唱導と曰ひ、念仏曰ふ。 とあり、音声をもって日本仏道隆盛たらしめるものとして「経師」すなわち説経師梵唄声明)、唱導念仏4種があったことが示されている。これは、鎌倉末期にあっては説経唱導たがいに異なるものと把握されていたことを示している。 ところが「説経」も「唱導も本来は、仏法説いて衆生を導く営み全般指しており、仏典講じてその教義説くことを意味していたのであって、それ自体文学でも芸能でもなかった。しかし、従来仏教保護者であった朝廷公家衰退著し中世にあって文字読み書きできない庶民への教化という動機から、しだいに音韻抑揚をともなうようになったのである。それはまた、比喩因縁など説話部分庶民にとっては親しみやすく、そこから文学方面関心強めることにもつながり、これを「唱導文学」と称している。 「唱導文学」の名を初め用いたのは民俗学者折口信夫であるが、「事実において、唱導文学は、説経文学意味しなければならぬ」と述べているように、唱導文学はむしろ芸能としての説経多大素材あたえた。 「唱導文学」(説経文学)のおもな担い手は、高野聖その他の廻国聖、山伏御師盲僧絵解法師熊野比丘尼各地巫女など下級宗教家であり、その意味では折口指摘する通り「漂遊者の文学」「巡游伶人文学であったその内容は、寺社縁起高僧伝神仏霊験譚、インド中国起源ものもふくめた仏教説話など多岐にわたるが、かれらがその信仰民衆心底深く伝えるためには、地方民衆のなかにあった固有の信仰口碑取り入れ、それと習合していく必要があった。南北朝時代安居院流の唱道者(安居院唱導教団の手によって成立したとみられる神道集』は、こうした唱導テキスト集成したものと考えられる。なお、文学史的にみれば、『神道集』は室町時代御伽草子説経節先駆的性質有していると指摘される

※この「唱導(説経)文学」の解説は、「説経節」の解説の一部です。
「唱導(説経)文学」を含む「説経節」の記事については、「説経節」の概要を参照ください。

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