唐物茶壺とは? わかりやすく解説

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唐物茶壺(松花)

主名称: 唐物茶壺(花)
指定番号 2625
枝番 00
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 南宋~元時代
年代 1314世紀
検索年代
解説文: 唐物茶壺は中国南部中心に広く焼造された四耳壺で、香辛料などの貯蔵容器として用いられ一一世紀後半には生産されていたと考えられている。喫茶伝来とともに一三世紀代にはわが国将来され、その機能性より葉茶壺はちゃつぼ】として用いられたと推測されるが、記録では『師守記【もろもりき】』の興国元年暦応三年一三四〇正月三日記された「引出物茶壺」が初現とされ、また水戸徳川家伝来する唐物茶壺・銘弾正底部には「貞和二」(一三四六年)の墨書があり、これらの資料より一四世紀前半には確実にわが国将来され、葉茶壺として用いられていたことが知られる室町時代には瀬戸窯信楽窯、丹波窯、備前窯などでも唐物茶壺を模した四耳壺が焼造され始め、しだいに盛行していったことが知られる。また『満済准后まんさいじゅごう日記』の永享六年(一四三四二月四日には「葉茶壺九重ト号名物」という記述があり、すでに銘が与えられて、各種茶道具中でも最も早く名物称されていたことが知られる
 唐物茶壺は本来葉保存するための実用的な容器であったが、天文年間一五三二~五五)ころからは唐物茶壺を用いた茶壺飾り書院広間の床で行われるようになり、最も普及したのは豊臣秀吉茶の湯に力を注いだ天正年間一五七三~九二)中期ころからとされ、唐物茶入とともに茶道具において格別に扱われた。織田信長豊臣秀吉などの戦国大名が、戦功のあった武将への褒美として唐物茶壺を与え優に一国一城数万石、ときには十数万石恩賞価値するとさえも評された。
 本茶壺はもと管領斯波【しば】氏所持伝え村田珠光しゅこう】、北向道陳【きたむかいどうちん】、織田信長豊臣秀吉徳川家康伝わり駿府御分物として徳川義直譲られ尾張徳川家伝来したもので、茶道具における唐物茶壺のあり方如実に示す貴重な遺例一つである。
 本唐物茶壺は、現存する唐物茶壺の中では古来最も著名ないわゆる大名物で、茶会記等の記録にも最も頻繁に登場する名物記著した山上宗二やまのうえそうじ】はその『山上宗二記』において「天下松島花・三ケ月三つ名物」と述べるが、松島三ケ月本能寺の変により焼失し現存するのはこの花のみであり、本作品により名物唐物茶壺の典型を知ることができる貴重な遺例である。
 茶会記記録には天文十一年(一五四二)四月九日松屋久政茶会(『松屋会記』)に初め確認され天正年間には津田宗及他会(『天王寺屋会記』)にたびたび認められる。また天正十五年(一五八七)北野大之湯では豊臣秀吉の亭において今井宗久道具として用いられた。
 本作品は、現存する最も典型的な唐物茶壺を代表する作品であり、素朴ながら端正な形姿に、二重掛けされた白化粧土や灰釉一部が流条化してなだれかかり変化ある釉景色作り出すいわゆる大名物であり、当時の大茶人権力者所持確認され、唐物茶壺を代表する遺例として、茶道文化史貴重な作品である。



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