史跡・遺品
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雷電生家 長野県東御市 生家とは呼ばれるが、実際には雷電が大関時代に建てた家で、屋内に稽古土俵、さらに稽古の様子を見学できるように二階座敷などがある。地元につたわる話では、恩人である上原源五右衛門に遠慮して、彼の邸宅よりひとまわり小ぶりに建てたという。その後関家の納屋として使われていたが、昭和に入ってから復元され、1984年から一般公開が開始された。ここには雷電直筆とされる「諸国相撲控帳(雷電日記)」「萬御用覚帳」の原本の写しなども保存されている。 雷電顕彰碑 長野県東御市 佐久間象山の撰文、揮毫によって1861年に建立された。碑文に「雷電去世二十七年(雷電が世を去って二十七年)」とあるのは「三十七年」が正しいが、当時幕府に蟄居謹慎の処分を受けていた象山が、それ以前の仕事と見せるためにあえて誤って書いたものである。雷電のあまりの怪力ぶりに、突っ張り・張り手・閂を禁じ手とされた逸話もここで述べられている。その石片は勝負事に利益があるとしてたびたび削り取られ、明治期には碑文が判読不可能にまでなっていたため、勝海舟・山岡鉄舟の発起で新碑が建立された。昭和のはじめ、土地の所有者が変わった関係で旧碑が移動され、現在は新旧の両碑がT字型に並び立っている。昭和42年小県郡東部町(当時)の史跡に指定。 長野県出身力士御嶽海の大関昇進を契機として、旧碑を近くの雷電生家への移設が令和4年3月23日に開催された令和3年度第2回 東御市文化財保護審議会に諮問されたが、審議会の意見は反対で移設は中止された。 千葉県佐倉市臼井台 妙覚寺の前に存在し、勝川春亭の雷電の立ち姿を等身大(197cm)に描き、佐久間象山の筆による「天下第一流力士雷電之碑」の文字が刻まれている。雷電命日の毎年2月11日には雷電祭として雷電太鼓の奉納などが行われる。 雷電資料館 長野県東御市滋野乙 道の駅雷電くるみの里の雷電像の奥、食堂横に併設されている。化粧まわしのレプリカや、番付表などを展示が展示されている。 雷電袂鐘 長野県小諸市 養蓮寺に所蔵されている。雷電が自ら寄贈したもので、「江戸から袂(たもと)に隠して持ってきた」と語った逸話から「袂鐘」の名がある。報土寺の釣鐘を巡る騒動とも関わりを持つが、損傷が酷いために現在は一般公開を行っていない。令和元年度に小諸市教育委員会により小諸ふるさと遺産に認定された。 雷電の力石 長野県長野市 武井神社の一角にある。鐘鋳川に架けられていた橋板を架け替えの祭、善光寺に巡業に来ていた雷電が神社まで運んだとされる物が力石として残っている。この石の上に立った子供は丈夫に育つという。 雷電為右衛門の像 長野県東御市 道の駅雷電くるみの里敷地内及び東御市役所前市民交流広場(最初は東部中央公園(のち東御中央公園)にあり、平成26年3月に移設された)。ともに竹内不忘作。 長野県諏訪市 諏訪大社上社本宮境内に奉納。矢崎虎夫による文部大臣賞受賞(昭和41年)の作。モデルは柏戸、佐田の山、富士錦。
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