史跡・遺品とは? わかりやすく解説

史跡・遺品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:02 UTC 版)

雷電爲右エ門」の記事における「史跡・遺品」の解説

雷電生家 長野県東御市 生家とは呼ばれるが、実際に雷電大関時代建てた家で、屋内稽古土俵、さらに稽古様子見学できるように二階座敷などがある。地元につたわる話では、恩人である上原五右衛門遠慮して彼の邸宅よりひとまわり小ぶり建てたという。その後関家納屋として使われていたが、昭和に入ってから復元され1984年から一般公開開始された。ここには雷電直筆とされる諸国相撲控帳雷電日記)」「御用覚帳」の原本写しなども保存されている。 雷電顕彰碑 長野県東御市 佐久間象山撰文揮毫によって1861年建立された。碑文に「雷電去世二十七年雷電世を去って二十七年)」とあるのは「三十七年」が正しいが、当時幕府蟄居謹慎処分受けていた象山が、それ以前仕事見せるためにあえて誤って書いたのである雷電のあまりの怪力ぶりに、突っ張り張り手・閂を禁じ手とされた逸話もここで述べられている。その石片勝負事利益があるとしてたびたび削り取られ明治期には碑文判読不可能にまでなっていたため、勝海舟山岡鉄舟発起で新碑が建立された。昭和のはじめ、土地所有者変わった関係で旧碑が移動され、現在は新旧の両碑がT字型に並び立っている。昭和42年小県郡東部町当時)の史跡指定長野県出身力士御嶽海大関昇進契機として、旧碑を近く雷電生家への移設令和4年3月23日開催され令和3年度第2回 東御市文化財保護審議会諮問されたが、審議会意見反対移設中止された。 千葉県佐倉市臼井台 妙覚寺前に存在し勝川春亭雷電立ち姿等身大(197cm)に描き佐久間象山の筆による「天下第一流力士雷電之碑」の文字刻まれている。雷電命日毎年2月11日には雷電祭として雷電太鼓奉納などが行われる。 雷電資料館 長野県東御市滋野道の駅雷電くるみの里雷電像の奥、食堂横に併設されている。化粧まわしレプリカや、番付表などを展示展示されている。 雷電袂鐘 長野県小諸市 養蓮寺所蔵されている。雷電が自ら寄贈したもので、「江戸から袂(たもと)に隠して持ってきた」と語った逸話から「袂鐘」の名がある報土寺釣鐘を巡る騒動とも関わりを持つが、損傷が酷いために現在は一般公開行っていない。令和元年度小諸市教育委員会により小諸ふるさと遺産認定された。 雷電力石 長野県長野市 武井神社一角にある。鐘鋳川にけられていた橋板架け替えの祭、善光寺巡業来ていた雷電神社まで運んだとされる物が力石として残っている。この石の上立った子供丈夫に育つという。 雷電為右衛門の像 長野県東御市 道の駅雷電くるみの里敷地内及び東御市役所市民交流広場最初東部中央公園(のち東御中央公園)にあり、平成26年3月移設された)。ともに竹内不忘作。 長野県諏訪市 諏訪大社上社本宮境内奉納矢崎虎夫による文部大臣賞受賞(昭和41年)の作。モデル柏戸佐田の山富士錦

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