報土寺
名称: | 報土寺 |
ふりがな: | ほうどじ |
名称(棟): | 本堂 |
名称(ふりがな): | ほんどう |
番号: | 2170 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1985.05.18(昭和60.05.18) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 京都府 |
都道府県: | 京都府京都市上京区仁和寺街道六軒町西入四番町 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺 |
時代区分: | 江戸前期 |
年代: | 寛永6(1794) |
解説文: | 報土寺は浄土宗に属し、もと相国寺の南にあったが、寛文三年(一六六三)頃現在地に移った。本堂は旧地から移建された建物で、桁行七間、梁間六間のやや規模の大きい仏堂である。舟肘木を用いた簡素な造りではあるが全体の木組が太く力強い優品で、江戸時代初期浄土宗本堂の一典型として価値が高い。 本堂の南に建つ表門は、本堂と同時代と認められ質のよい標準的な一間薬医門である。 |
報土寺
報土寺
報土寺
報土寺
報土寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 02:51 UTC 版)
報土寺 | |
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所在地 | 東京都港区赤坂7丁目6-20 |
位置 | 北緯35度40分15.9秒 東経139度43分57.9秒 / 北緯35.671083度 東経139.732750度座標: 北緯35度40分15.9秒 東経139度43分57.9秒 / 北緯35.671083度 東経139.732750度 |
山号 | 咲柳山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1614年 |
開山 | 永受 |
法人番号 | 6010405001512 ![]() |
報土寺(ほうどうじ)は、東京都港区赤坂にある真宗大谷派の寺院。
概要
慶長19年(1614年)に永受法師による創建。山号は咲柳山(しょうりゅうざん)、寺号は報土寺(ほうどうじ)。
永受法師は越前の戦国大名・朝倉義景の末裔であり、義景が出陣の時に、いつも兜に入れていたと伝えられる「阿弥陀如来銅像」を携えて、この地に落ち延びたと伝えられている(なお、この像は現在も本堂に安置されている)。
境内には江戸時代の力士・雷電為右ヱ門、儒学者・井部香山、写真家・丸木利陽の墓や、野村文挙の碑などがある。また、港区の文化財である築地塀(練塀)や梵鐘などがある。
創建当初の所在地は、赤坂一ツ木大沢の里(現在の赤坂五丁目辺り)だったが、江戸幕府の用地取り上げにより、安永9年(1780年)三分坂下の台地に移転し現在に至る。
関連項目
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