古市の伊勢音頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 23:59 UTC 版)
『神境秘事談』(度会貞多)によれば享保のころ、伊勢の吹上町に住む奥山桃雲という人物が従来からの盆踊りを基に音頭を作ろうと考え、川崎町の伊藤又市(俳名梅路)という者に作詞を頼み、鍛冶屋長右衛門と草司という者に曲を作らせ、これを「川崎音頭」と称した。享保17年(1732年)、古市の遊郭数軒から名古屋の西小路に出店を開くことになったが、そのとき人寄せとしてこの「川崎音頭」を座敷に出したところ、これが評判となった。この名古屋の遊郭は元文3年(1738年)に停止となったので、古市の出店も地元に戻ったが、名古屋で評判を取った「川崎音頭」を古市でも出すようになり、いよいよ有名になったという。江戸時代の古市は伊勢参りの旅人を当て込んだ遊郭が多く立ち並んでおり、これら伊勢参りの旅人たちによって、伊勢古市における「川崎音頭」(伊勢音頭)の名は知れ渡った。当時の伊勢参りは信心目的ばかりではなく、今でいう観光も旅の目的となっていたのである。 寛政9年(1797年)刊行の『伊勢参宮名所図会』の「古市」の図には、「川崎音頭流行して是を伊勢音頭と称し、都鄙ともに華巷のうたひ物とは成りたれども、此の地の調は普通に越えたり…」との説明文があり、遊女たちが三味線に合わせ輪になって踊る様子が描かれている。また寛政8年7月に大坂で初演された『伊勢音頭恋寝刃』の三幕目「油屋」にも、「伊勢音頭の座敷踊り」とある。古市の遊郭は「伊勢音頭」に合わせ、遊女たちに座敷で踊らせる事で知られていた。 しかしこの古市の「伊勢音頭」は、享保から数十年も立つと内容が変化していた。江戸の戯作者曲亭馬琴は享和2年(1802年)、東海道を経由し京都や大坂など近畿地方を旅しており、このとき見聞きしたことを『羇旅漫録』という著作にまとめている。『羇旅漫録』によれば馬琴は旅の途中で伊勢神宮に参詣し、古市にも寄って遊郭に上がったが、古市の「伊勢音頭」について次のように記す。 「古市もいまは伊勢おんど大におとろへて、大坂或は江戸のめりやす、潮来ぶし、似て非なるものをうたふ。佳木てふをとこ声たへに、おんどをうたひ聞かせたり。妓はかへりてこれにおよばず…」 これによれば、馬琴が古市の遊郭で聞いた曲は「大坂或は江戸のめりやす」などになっており、「伊勢音頭」を覚え伝えているはずの遊女たちでまともに唄える者がいなかったということである。「佳木」とはこの地の馬琴の友人である山原七左衛門という人物で、本来の「伊勢音頭」(川崎音頭)がすでに享和の頃、古市において好事家などが曲を伝えているという状態だったことが伺える。なお馬琴が上がった遊郭では遊女たちが三味線に合せていっせいに唄うのみで、踊りはしなかったようである。 この古市の「伊勢音頭」の歌詞を集めた『二見真砂』という音曲集が数種刊行されており、いずれも刊行年は不明だが合せて80余りの曲を伝えている。その節には一中節や義太夫節、謡曲など当時すでにあった色々な音曲の節を使っているという。時代が移るにつれ馬琴が「似て非なるもの」と言った音曲が、本来の「伊勢音頭」(川崎音頭)に代わって「伊勢音頭」と称され、古市で遊女たちが唄い、またそれに合せて踊っていたと見られる。 古市の遊女達による「伊勢音頭」の踊りは、座敷の三方に廊下のような細い舞台をコの字型に設け、多数の遊女たちがその上に並んで一斉に踊った(上掲、貞秀の浮世絵参照)。古市で規模の大きな遊郭だった備前屋(別名牛車楼)は文化15年(1818年)3月、式亭三馬作、歌川国直画による『伊勢名物通神風』という草双紙を刊行しており、その中で備前屋の「伊勢音頭」について、 「世に名高き桜の間の大をどりといふは、九間に六間の大座しきをぐるりとおやま(遊女)にてとりまき、いせおんどに合せて、あまたの美女、三方らうか(廊下)をめぐりながら、手拍子そろへてをどるなり…」 と記している。備前屋では「伊勢音頭」を桜の間(「車の間」とも)という大座敷で踊り、舞台に遊女が踊る時せり上がる迫の仕掛けが施された。この舞台演出を考案したのは備前屋が最初といわれ、舞台のせり上げも備前屋が寛政6年に始めたものだという。こうした「伊勢音頭」の総踊りが古市の多くの妓楼で盛んに行なわれた。少なくとも昭和初期までは、備前屋と杉本屋に残っていた模様である。 志賀直哉は小説『暗夜行路』後篇において、備前屋のものと見られる「伊勢音頭」の総踊りについて取り上げている。また京都祇園の都をどりは、その振付を担当した片山春子(三世井上八千代)がこの古市の「伊勢音頭」を参考にして作ったと伝わる。
※この「古市の伊勢音頭」の解説は、「伊勢音頭」の解説の一部です。
「古市の伊勢音頭」を含む「伊勢音頭」の記事については、「伊勢音頭」の概要を参照ください。
- 古市の伊勢音頭のページへのリンク