古市の大溝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 16:02 UTC 版)
1968年、航空写真から大溝が発見された。現存している部分もあるし、埋没している部分や池に利用されているところもある。幅20 - 30メートルの大溝が前方後円墳の墳丘の間を走っている。『日本書紀』仁徳天皇十四年の条にある、感玖(こむく)の大溝(おおうなで)かと推定されている。「古市の大溝」と名づけられている。この溝は、古市古墳群形成の過程で掘削され、数度の改築の跡が残っている。八世紀には埋没してしまったところも出て来る。 1978年に、三ツ塚古墳から古代の運搬具・修羅が出土し、話題となった。
※この「古市の大溝」の解説は、「古市古墳群」の解説の一部です。
「古市の大溝」を含む「古市古墳群」の記事については、「古市古墳群」の概要を参照ください。
- 古市の大溝のページへのリンク