反応・批評・批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/22 08:14 UTC 版)
1976年に出版されてから、22言語に翻訳されている。本は世界中に広まっており、組織された団体の基盤になっている。英語版は2007年時点で100万部以上の売り上げがあり、ベストセラーになったスピリチュアルな自己啓発本を通しさらに数百万人に影響を与え、学習団体も世界中で増加している。 現代で最も有名なスピリチュアリティ文書の一つで、ニューエイジを研究するヴァウター・ハーネフラーフ(英語版)は、コースを「スピリチュアリティのニューエイジ・ネットワークにおいて『聖典』の役割を果たしたということのできる『唯一の書』」と述べている。 ケネス・ワプニックは「聖書を文字通りの真実であると考えるならば、(聖書直解主義(英語版)の視点から)コースは悪魔に取りつかれ霊感を与えられたとみなされるだろう」と述べた。一方、シャックマン、セッドフォード、ワプニックの友人だった司祭Benedict Groeschelはコースとその組織を批判した。コースのいくつかの要素を「重大で潜在的に危険なキリスト教神学の歪曲」であり「偽の啓示の好例」で「多くにとって霊的な脅威になる」と書いている。福音主義の編集者Elliot Millerは、コースでキリスト教の用語はニューエイジ思想に似たものに「完全に再定義」されていると語った。別のキリスト教徒の評論家は、コースはキリスト教と相いれない「強力なアンチ聖書」であり、創造主と被造物の区別をあいまいにし、オカルトやニューエイジの世界観を強く支えていると述べた。 ロバート・キャロルは、コースは過度に商品化され「改良されたキリスト教」という特徴づけをされた「マイナー産業」だと批評した。キャロルはその教えはオリジナルではないと述べ、「東西の様々な出典」からえり抜いたものであることを示唆した。 ACIMの意味を、世界に説明する、という役割をこなした故ケネス・ワプニクは、こうした批判や反応にも関わらず、ある人々が、ACIMにとても深く惹かれるのは、そこに、批判や裁きのない存在(ACIMの源となっている、普遍的な、愛の存在)を感じるからで、そうした、内面的なゆるし、つまり”自我の罪悪感と憎悪と、それを取り消されることへの恐れ”の思考システムを裁くことなく直視することで、取り消し、分離のアイデンティティを完全に取り消してしまうようなゆるしの教えと、その結果として、真のアイデンティティである、完全な愛の記憶が蘇ってくることに対して、非常によくあることであるが、まだ自我にアイデンティティを置いている人々は同時に、無意識的な脅威を感じ、攻撃したり、分析したり、時には自分自身が内面でその教えの愛に向き合うことへの怖れから、布教をしてみたり、外面的なあらゆることに気を散らすことを通して、内面から逃げるのであり、それは当然、誰しも誘惑を感じずにはいられないことであり、まったく理解可能なことであり、驚くことではないが、いまさらそのことに驚いてしまう自分に驚くべきである、と述べている。また、こうした現象に関しては、2000年前の、愛とゆるしの象徴であり、メッセンジャーとなっていたイエスに関しても同様のことが起こっているため、同じ、無批判のゆるしと愛の象徴に対して、内面で向きあうことを一時的に怖れる人々が、そうした様々の反応を示すのは、まったく驚くべきことではなく、罪深くもなければ、真のアイデンティティである、かたちのない完全な一体性に影響を与えることもなく、ただ怖がっているだけなのだから、ここに(身体の世界に)いると思っているわたしたちは皆、間違った選択をした心としても、(完全に受け入れることを、まだ怖れている)キリストという真の自己においてもまた、まったく同様のものであり、ただ、私達の全ての抵抗は同様に、別の優しい・無批判な見方と愛を受けるに値する、という非常に包括的で穏やかなACIMの奥にある愛の姿勢を学ぶという、内面的なもう一つの選択肢があることを示し、その学習者たちに、その姿勢を通し、ゆるしを学ぶようにと、呼びかけている。
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