南伝以後とは? わかりやすく解説

南伝以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 01:19 UTC 版)

上座部仏教」の記事における「南伝以後」の解説

南アジア存在した部派のうち、スリランカ本拠地としてインド本土へ進出した上座部」(Theravāda) を名乗る一派が、今日に至るまで存続している上座部仏教源流である。スリランカ上座部は、紀元前3世紀インドから上座部系の一部派が伝わったことに始まるとされるスリランカ伝承では、当地仏教伝えたのはマウリア朝アショーカ王の師モッガリプッタ・ティッサの弟子にしてアショーカ王の子マヒンダであったという。スリランカ上座部成立年代考古学資料等から紀元後3-4世紀推定される5世紀には、南インドから来島したブッダゴーサが『清浄道論』をはじめとする註釈文献編纂して上座部教学大成しその後ダンマパーラ等の学匠南インド活動していたことから、スリランカ上座部ネットワーク当時南インド広がっていた様子うかがわれる12世紀には、スリランカ国家政策によって当地の上座部三派は大乗を非仏説として斥ける大寺派一本化され、その結果大乗仏教スリランカから一掃された。 上座部仏教ミャンマータイなど東南アジア方面にも伝播した。南伝仏教という呼称はこの背景由来するミャンマーでは11世紀上座部サンガ招来され13世紀にはタイカンボジアにもスリランカ上座部伝来したその後大交易時代成立した東南アジア諸王朝では、王権主導によって上座部大寺派主流宗教となった。現在では、スリランカタイミャンマーラオスカンボジア各国多数宗教占める。またベトナム南部多く信徒抱えインド、バングラデシュマレーシア、インドネシアにも少数派コミュニティ存在する中国雲南省貴州省などに分布するタイ系諸民族の間でも信仰されている。 アジアの上座部仏教圏のほとんどは西欧列強植民地支配受けた宗主国で、支配地の文研究植民地政策補助として奨励されたため、仏教ヒンドゥー教イスラム教経典教典文献学的研究イギリススリランカミャンマー旧宗主国)を中心に欧州早くから進んだロンドンのパーリ・テキスト協会から刊行されパーリ三蔵PTS版)は過去仏教研究者のもっとも重要な地位占めたその後イギリス植民地宗主国としての地位喪失し大学でも日本のようなインド哲学科が設置されることはなく、サンスクリット語研究オックスフォード大学細々行われている。一方で欧米人の中から上座部仏教比丘になる者や、またスリランカでは大学卒業し英語の堪能スリランカ出身比丘中心となり(公用語シンハラ語タミル語連結語として英語も憲法認められている)、大学という枠組みの外でパーリ三蔵翻訳が活発である。 一方でイギリス旧植民地スリランカビルマタイから移民難民アングロサクソン系イギリスカナダアメリカ合衆国オーストラリア大規模に流入した関係で、欧米への布教伝道旺盛行われている。欧米にはチベット密教系や東アジア禅宗系並んで、あるいはそれ以上数多くの、上座部仏教寺院や団体がある。

※この「南伝以後」の解説は、「上座部仏教」の解説の一部です。
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