南会津町指定文化財、とは? わかりやすく解説

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南会津町指定文化財、

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/05 20:55 UTC 版)

細井家資料館」の記事における「南会津町指定文化財、」の解説

如活禅師遺品及び資料一括 南会津町指定重要有形民俗文化財 昭和58年1983年5月1日指定 細井家の祖、郭了・おせきは如活禅師師事し、如活も近所に庵を結んだり、旅の途次泊まっている。遺品遺墨没後おせきの手によってまとめられ保存された。大別すると、遺品法衣類・法具類・経典類・文具類)、遺墨筆跡医学関係)、その他関係資料書簡追慕状・一代記仮称)・百年資料)がある。 細井家は、明治5年7月1872年)から全国的に郵便制度施行されたことに伴い同年9月郵便御用取扱所として開設され現在に至っている。明治5年1872年)の郵便取扱業務定めた郵便規則」や、明治7年3月1874年)の駅逓前島密からの「局長手当辞令」をはじめ、207点に及ぶ郵便関係資料保存されている。また、明治25年1892年)、小包郵便法が施行され10月1日より小包郵便取扱開始された。明治29年11月1896年)に田島静川山口間に小包線路開設され明治33年7月1900年静川局(細井家)に於いて国内小包郵便事務取扱開始された。明治33年6月1900年)、静川喰丸間にも小包路線開設され小包郵便の量も次第増加していった。静川山口間、静川喰丸間の逓送全国難儀極め、「静川事務概要報告表」にも詳しく記され、これらの資料多く残されている。 細井家には延享2年1745年)作と言われているものから、明治時代1869年1911年)のものまでの漆器類が保存されている。会津若松喜多方産した漆器会津塗呼び、古い会津塗現存品は、仏教工芸品武具などに見られる漆下地と、重箱などの日用品見られる渋下地とがある。塗りや黒、青光等の彩漆用いられ加飾法も花鳥類を彩漆描いた漆絵会津絵呼ばれている金箔押して漆絵文様描いた物、錆で文様描いた錆絵などがある。蒔絵寛政4年に、金粉金箔製法寛政8年に京より人を招いて技法伝えている。保管されている漆器類は、が160組、膳が60膳、弁当箱一組大杯二組あり、中でもの図七つ組杯田島地方保存されている唯一のものであり、会津漆器資料として代表的なものである。

※この「南会津町指定文化財、」の解説は、「細井家資料館」の解説の一部です。
「南会津町指定文化財、」を含む「細井家資料館」の記事については、「細井家資料館」の概要を参照ください。

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