南会津町指定文化財、
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「細井家資料館」の記事における「南会津町指定文化財、」の解説
如活禅師遺品及び資料一括 南会津町指定重要有形民俗文化財 昭和58年(1983年)5月1日指定 細井家の祖、郭了・おせきは如活禅師に師事し、如活も近所に庵を結んだり、旅の途次に泊まっている。遺品遺墨は没後おせきの手によってまとめられ、保存された。大別すると、遺品(法衣類・法具類・経典類・文具類)、遺墨(筆跡・医学関係)、その他関係資料(書簡・追慕状・一代記(仮称)・百年忌資料)がある。 細井家は、明治5年7月(1872年)から全国的に郵便制度が施行されたことに伴い、同年9月に郵便御用取扱所として開設され現在に至っている。明治5年(1872年)の郵便取扱業務を定めた「郵便規則」や、明治7年3月(1874年)の駅逓頭前島密からの「局長手当の辞令」をはじめ、207点に及ぶ郵便関係資料が保存されている。また、明治25年(1892年)、小包郵便法が施行され、10月1日より小包郵便取扱が開始された。明治29年11月(1896年)に田島~静川~山口間に小包線路が開設され、明治33年7月(1900年)静川局(細井家)に於いても国内小包郵便事務取扱が開始された。明治33年6月(1900年)、静川~喰丸間にも小包路線が開設され、小包郵便の量も次第に増加していった。静川~山口間、静川~喰丸間の逓送は全国難儀を極め、「静川事務概要報告表」にも詳しく記され、これらの資料も多く残されている。 細井家には延享2年(1745年)作と言われているものから、明治時代(1869年~1911年)のものまでの漆器類が保存されている。会津若松や喜多方で産した漆器を会津塗と呼び、古い会津塗の現存品は、仏教工芸品や武具などに見られる漆下地と、椀や重箱などの日用品に見られる渋下地とがある。塗りも朱や黒、青光等の彩漆が用いられ、加飾法も花鳥類を彩漆で描いた漆絵や会津絵と呼ばれている金箔を押して漆絵で文様を描いた物、錆で文様を描いた錆絵などがある。蒔絵は寛政4年に、金粉、金箔の製法は寛政8年に京より人を招いて技法を伝えている。保管されている漆器類は、椀が160組、膳が60膳、弁当箱が一組、大杯二組あり、中でも鶴の図七つ組杯は田島地方に保存されている唯一のものであり、会津漆器の資料として代表的なものである。
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