動機と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 14:43 UTC 版)
「フランクフルト・キッチン」の記事における「動機と影響」の解説
第一次世界大戦後のドイツは深刻な住宅不足に直面していた。賃貸集合住宅の数を増やすために1920年代に様々な公営住宅計画が立てられた。こういった大規模に建てられるアパートは、大多数の労働者階級の人間が手ごろな値段で住むためのものであったため予算が逼迫していた。その結果、アパートは快適ではあるが広い場所ではなく、建築家たちは多数のアパートに対してデザインを一つしか使わないことでコストを削減することにした。 マルガレーテ・シュッテ・リホツキーにとってレーマーシュタットの台所設計の課題は、建物全体の面積からそれほど場所を取らずにどれだけたくさんの台所を建築できるか、という点にあった。リホツキーのデザインは、当時主流であった台所居間共同空間とは異なる。当時の労働者の典型的な住居は二部屋しかなく、台所は調理するという本来の目的に加えて、食事をする(ダイニングルーム)、時間を過ごす(リビングルーム)、風呂に入る(バスルーム)、寝る(ベッドルーム)など複数の機能を持っていた。もう一つの部屋は応接間として日曜の午後の正餐など特別な場合にしか使用されなかった。しかし、リホツキーは台所とリビング空間をスライド式ドアで区切り、台所を小さな別部屋にした。ここに、調理などの家事労働の空間とリラックス空間を分ける、というリホツキーの人生観が表現されている。 (人生は)まず仕事、その次にリラックスし、交友し、楽しむ。- リホツキー 『Schlesisches Heim』1921年8月からの引用 リホツキーのデザインは20世紀初頭当時に流行していたテイラー主義(労働者の科学的管理法)に多大な影響を受けている。18世紀中頃に家政学者キャサリン・ビーチャー(en:Chatharine Beecher)によって唱えられ、1910年代にクリスティン・フレデリック(Christine Frederick)によって更に勧められた「家事労働も職業である」という考えは、ますます認識を高め、テイラーによって提唱された産業最適化が当然のように家庭環境にまで持ち込まれたのである。 テイラー主義を用いた台所仕事の合理化について述べられたフレデリックの著書『The New Housekeeping』 は1922年に『 Die rationelle Haushaltsführung 』というタイトルでドイツ語に翻訳された。この考えはドイツやオーストリアで評価され、ドイツ人建築家エルナ・マイヤー(Erna Meyer)の建築物やリホツキーのフランクフルト・キッチンのデザインの基礎となった。リホツキーは細かいタイムスタディ(時間業務調査)を行い、台所における作業一つ一つにかかる時間を調べ、作業の流れを改善・効率化し、その流れに最大限合うようにキッチンデザインを設計した。リホツキーにとって最も重要のなのは台所における人間工学の向上と台所仕事の合理化であった。 主婦の仕事の合理化の問題は、社会のすべての階級と同様に重要である。(召使いなどの)助けを借りずに家事をこなす中流階級の多くの女性も、家事以外の仕事を抱える労働者階級の多くの女性も、ともに過労が酷く、ストレスのために地域全体の健康をひどく損なうほどの状態にある。 - リホツキー 『Das neue Frankfurt』 1926年-1927年からの引用 上記の引用文は、なぜテイラー主義が当時の民衆に受け入れられたかを示している。一方、「(経済学上で言う)非生産的」な家事に費やす時間を減らすことで女性が工場で働く時間を増やすという目的も、家事を合理化させるという考えに拍車をかけた。そのほか、家庭内においても女性の地位の向上を目指す解放運動(フェミニズム)の視点から見れば、合理化は女性に自由を与え、他に関心のある事柄に従事する余裕をあたえることになった。 極度にスペースの限られた鉄道の食堂車の台所は、リホツキーにとってテイラー主義の理想的な形であり、彼女のデザイン発想の鍵となった。食堂車の台所は1.83メートルx1.95メートルと非常に狭いにも関わらず、2人の人間が約100人の食事(6品フルコース)を調理して給仕する上に、皿を洗って収納することができたためである。
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