出自、生年、出身地とは? わかりやすく解説

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出自、生年、出身地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:47 UTC 版)

明智光秀」の記事における「出自、生年、出身地」の解説

清和源氏土岐氏支流である明智氏生まれる。父は江戸時代の諸系図などでは明智光綱明智光国明智光隆などと記載されるが、一次史料からは土岐明智氏嫡系の人物に「光」の字を有している者がいないため、江戸時代創作であると考えられる小林正信は、光秀の父とされる人物史料上から見出すことはできない、と述べている。そのため、低い身分土岐支流ともいわれている。 光秀自身出自に関する証言をほとんど残していないが、『松雲採集遺編類纂所収の「戒和上昔今禄」という記録には、天正5年1577年)に発生した興福寺東大寺相論奉行務めた光秀が「我、先祖忠節故、過分所知被下シ尊氏御判御直書所持スレトモ」と発言したことが記されている。この記述従えば光秀祖先足利尊氏仕えてその書状光秀持っていたということになる。つまり、光秀の家は、当初室町幕府御家人連なる方向にあったが、その後守護土岐氏仕え被官になっていった、土岐明智氏傍流であったとらえた方がよい。明智氏初代明智頼重足利尊氏足利義詮足利義満足利将軍家仕えたとされる光秀将軍足利義昭上洛早々文禄11年1568年11月15日近衛稙家の子聖護院門跡道澄公家飛鳥井雅淳、連歌宗匠紹巴錚々たる人々出座した格式高い連歌の席に、弘治年間1555年-1558年)からしばしば連歌会に名を連ね一流文化人認められていた細川藤孝伴われ同座している。このような格式高い連歌会に同座できたことから、光秀無名時代に相当高いレベル連歌素養身に付けていたこと、および将軍足利義尚将軍足利義材将軍足利義澄直臣奉公衆であり、寛正3年1462年)に頼宣の名で細川勝元連歌同座して以来細川管領家毎年催した細川千句参加するなど、連歌通じて幕府朝廷連歌界に幅広い人脈有し武家ありながら延徳元年1489年12月宗祇から連歌宗匠後任推薦され明応4年1495年1月6日の『新撰玖波祈念百韻』に出座し、『新撰菟玖波集』に9句入集果たした当時連歌界の超有名人である明智玄宣(光高)の曾孫光秀の父明智光兼祖父明智光重)の可能性指摘されている。 応仁の乱では、玄宣は幕府奉公衆として東軍属したが、玄宣の叔父明智頼弘は西軍与せず美濃帰って領地守ったまた、美濃守護の土岐成頼西軍主力として戦い応仁の乱後は、西軍担いだ足利義視・義材父子文明9年1477年)から延徳元年1489年)までの12年美濃保護したので、玄宣と成頼や義材との関係は良好でなかったと推測される。玄宣の系統土岐明智氏嫡流であったが、内部抗争起こり明応4年1495年)に将軍足利義高(後に義澄)の裁定により、従兄弟の頼定と美濃知行折半となった文亀2年1502年)、頼定の子・頼尚が知行大部分支配してその正当性主張し嫡男の頼典を義絶して頼明に家督譲った。玄宣の系統その後没落した。『明智軍記』などによると、光秀義絶された頼典の孫となっている。 当時美濃国守護土岐政房後継者争い起こり嫡男の頼武を守護代斎藤利良担ぎ次男の頼芸を小守護代長井長弘とその家臣長井新左衛門尉斎藤道三の父)が担いだ為、戦となった永正14年1517年12月、頼武派が勝利して、頼芸は尾張逃れた永正15年1518年8月永正9年1512年)に守護土岐政房対立して尾張逃れていた前守護代斎藤彦四郎加勢して、頼芸は美濃攻め入って勝利し、頼武は越前逃れた永正16年1519年)、頼武は朝倉氏援護得て美濃侵入し美濃半分支配して守護となり、永正17年1520年)に大桑城築いた大永5年1525年8月、頼武と頼芸の間で大乱起こり、頼武は死亡したか、越前逃れたと見られる大永9年1526年9月、玄宣の子奉公衆明智政宣が京から東国赴いた

※この「出自、生年、出身地」の解説は、「明智光秀」の解説の一部です。
「出自、生年、出身地」を含む「明智光秀」の記事については、「明智光秀」の概要を参照ください。

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