共和党支配の議会
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「アメリカ合衆国の歴史 (1991-現在)」の記事における「共和党支配の議会」の解説
民主党は1930年代のニューディール政策から60年代の「偉大なる社会」プログラムにつながる「大きな政府」による社会福祉や人権擁護の積極的な推進により大きな支持を得て、しかもその後のウォーターゲート事件で共和党が厳しい批判にさらされたこともあり、長期にわたって議会支配を確固たるものにしていた。しかし1980年代と1990年代初期はその結束が崩れた時代であり、有権者に奉仕する者としてある民主党現職議員の人気で議会の統治能力に対する幻滅が拡大していた事実を覆い隠していた。1994年の中間選挙で、民主党は突然40年間続いた下院と上院の支配を失った。ニュート・ギングリッチに率いられた下院共和党は40年間少数党として過ごした後に議会を誘導する困難さに直面したが、1994年9月27日に議会に提出した「アメリカとの契約」の追求を始めた。 年を経るごとに、ワシントンでは大統領とその右派敵対者、共和党との二極化が進展した。ニュート・ギングリッチは1995年1月に下院議長に選出された。ニューメディアの情報発信源が急成長し、右派に声援を送った。ラッシュ・リンボーのラジオトークショーが素晴らしい成功を収め、共和党の議会における勝利に大きな影響を与えた。1995年に「ザ・ウィークリー・スタンダード」が創刊され、ジョージ・W・ブッシュが当選した後に、ホワイトハウスで最も読まれている出版物だという宣伝を行った。これら新しいメディアはかつて無かったような騒々しい論争を増長し、アメリカ政治の新しい「文化戦争」と言う者もいた。極右派の声は連邦政府に対して妥協しない敵意に変わり、特にアルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局がテキサス州ウェーコでブランチ・ダビディアンへの襲撃に失敗した後はそうだったが、1995年4月にティモシー・マクベイとテリー・ニコルズによるオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の後は信用を幾らか落とした。 クリントンは伝統的な民主党とリベラル派の後ろ盾を受けて、その中道的「新民主党」政策を好む中道派の支持を得ることができた。それはニューディール政策や偉大なる社会の拡大された政府の任務から舵を切り、共和党の主要課題を取り上げて三角政治を行うことを可能にした。そのような妥協の例としては1996年に法として成立した福祉改革法があった。この新法は受益者が利益を受ける条件として働くことを求め、個々人が補助を受ける期間の上限を定めていたが、各州はそのタイムリミットから取扱件数の20%を除外することを認めていた。クリントンはまた連邦の犯罪防止策を強固にする道を探っていたが、薬物への戦いに連邦予算を振り向け、新に10万人の警官を雇用することを要求した。クリントン政権が終わるまでに、アメリカは最長期間の景気拡大を経験し、財政黒字を達成していた。財政黒字を達成した最初の年は、1969年以降ではアメリカ社会保障医療信託基金から政府が借金をしなかった最初の年でもあった。 クリントンは1996年選挙で共和党の上院議員ボブ・ドールと、改革党指名候補となったロス・ペローを破って再選された。 1992年と1996年の有権者は、以前からあったクリントンの婚外情事という噂について見逃してきていた。しかし1998年2月に、クリントンとホワイトハウスの研修生モニカ・ルインスキーとの間に性的関係が続いていたという報告書が出たときに、この噂が表面に出た。クリントンは当初、明快にその関係を否定した。「私はあの女性、ルウィンスキー嬢と性的関係を持たなかった。」クリントンの妻ヒラリーはこの告発が「広い右派の陰謀」によって拾い上げられた根も葉もない中傷だと表現した。ルウィンスキー事件が独立検察官ケネス・スターによって捜査されることになった1998年8月、クリントンは前言を引っ込めることになった。スターはここ数年間にわたるクリントンの悪行に関わる様々な告発を調査していた。クリントンの否定発言は検察官の前での宣誓供述書にまで及ぶことになったので、偽証と司法妨害の容疑で下院での大統領に対する弾劾手続が始められた。 この事件はクリントンが下院で弾劾裁判を受けたときが頂点だったが、結局上院で有罪とはされなかった。大衆の反発がニュート・ギングリッチに及び、1998年中間選挙で共和党が揮わなかったために、ギングリッチは辞任した。その後継議長なることが明白だったボブ・リビングストンは、彼も婚外情事を行っているという記事が出たために弾劾手続が始まる前に議員を辞任した。弾劾裁判の後、スキャンダルに倦み、気後れしたアメリカ大衆は事件が決着したことに大いに満足したように見えた。 1999年、共和党員でイリノイ州出身のJ・デニス・ハスタートが下院議長になり、これを2007年まで続けた。共和党の下院議長としては最長記録になった。
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