共和党穏健派と急進派の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 04:45 UTC 版)
「リコンストラクション」の記事における「共和党穏健派と急進派の対立」の解説
リンカーンの対立派閥だった共和党急進派は、奴隷制を廃止し連邦政府に従うという南部諸州の決意に対して強く疑いの念を持っており、もっと強制的な連邦政府の行動を要求した。事実、連合国のリーダーたちは穏健的なリンカーンの政策下で次々復権していた。共和党急進派のリーダーは連邦議会議長のタデウス・スティーブンスと上院議員チャールズ・サムナーだった。リンカーンの暗殺の後、新たに就任したアンドリュー・ジョンソン大統領は急進派寄りから穏健派寄りへと変わった。当初、彼は合衆国有色人種部隊の退役軍人へ投票権を与えることにとても積極的だった。しかし1866年、どの政党にも属さないジョンソンは、共和党穏健派と袂を分ち、平等主義と修正第14条に反対していた南部を地盤とする民主党とより強く手を結んだ。急進派はジョンソンの方針を攻撃し、特に自由黒人への公民権法案に対する彼の拒否権発動を攻め立てた。 1866年アメリカ合衆国議会選挙により、決定的に力のバランスは変わった。急進派は連邦議会の主導権を握り、ジョンソン大統領の拒否権を覆し大統領を弾劾するのさえ十分な議席を得た。ジョンソン大統領は一票差で弾劾を逃れたが、リコンストラクションの政策を押し進める力は既に残っていなかった。
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