共和党員と中央の管理を嫌う民主党員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 09:00 UTC 版)
「南北戦争の原因」の記事における「共和党員と中央の管理を嫌う民主党員」の解説
ブキャナン大統領は、カンザスでの問題を終わらせるために、ルコンプトン憲法の元でカンザスを奴隷州として認めることを議会に働きかけた。しかし、1万人以上となっていたカンザスの有権者はこの憲法を完全に拒絶した。これには少なくとも両派によって広められた投票に関する不正な手段も絡んでいた。ブキャナンはその政治生命をかけてその目的を達成しようとしたが、共和党員を更に怒らせ、自分の党員からは疎んじられることになった。スティーブン・ダグラスの一派は中央の管理を破ろうと動いていたが、このブキャナンの計画はカンザス・ネブラスカ法がよって立つ人民主権という原則を曲解する試みと見なした。国中で、あたかも州の権限の原則が侵害されたかのように感じ取り、保守的な意見の力が増した。南部でさえも、元ホイッグ党員や境界州のノウ・ナッシング党員、中でも顕著な者であるジョン・ベルやジョン・クリッテンデン(党派間論争の時にはキーとなっていた人物)が共和党に働きかけて中央管理の動きに反対させ、新領土は主権を受け入れるか拒絶する権限が与えられるよう要求した。 民主党の中の亀裂が深くなり、中道共和党員は中央の管理を嫌う民主党員、特にスティーブン・ダグラスとの連衡をすれば1860年の大統領選挙で絶対的有利になると論じた。共和党のオブザーバーの中には、フレモントがほとんど支持を得られなかった境界州で民主党の支持者を奪う機会としてルコンプトン憲法に関する論争を見る者もいた。結局境界州は、合衆国からの南部の脱退の恐れを刺激することなく、過去に支持した北部に基盤のあるホイッグ党の支持に動くことが多かった。 共和-民主連衡の戦略に反対したのが「ニューヨーク・タイムズ」だった。党派間の緊張関係を和らげるために「奴隷州はもういらいない」という妥協的な政策を採って、人民主権に対する反対を共和党は軽視していると抗議した。タイムズは共和党が1860年の大統領選挙で戦えるために、ブキャナンの裁定で動揺したような有権者全てを含めて支持基盤を拡げる必要があるという立場であった。 実際に民主党主導政治に対する反対が増す中で、その反対意見を纏める連衡についての圧力が強かった。しかしそのような連衡は新しい考え方ではなかった。それは基本的に共和党を国内の国民的、保守的合同政党に変えることを意味していた。実質的に共和党はホイッグ党の後継者になる可能性があった。 しかし、共和党の指導者は奴隷制に関する党の立場を変えることは断固として反対した。例えば1858年のクリッテンデン=モンゴメリー法案に92名の共和党下院議員全員が賛成票を投じた時、その原則が崩されたと考えて驚愕した。この妥協手段はカンザスが奴隷州として連邦に加盟することを阻んだものの、奴隷制の拡張に対する徹底した反対ではなく人民主権を求めていたという事実は党指導者を悩ませることになった。 結局、クリッテンデン=モンゴメリー法案は、共和党、境界州の元ホイッグ党および北部の民主党による中央管理反対大同盟を作らせることにはならなかった。その代わりに、民主党は単に党を割っただけだった。反ルコンプトン民主党員は新しい奴隷制度擁護という試験が党に課されていると嘆いた。しかしダグラスの一派は中央管理の圧力に屈することを拒んだ。当時共和党に鞍替えした反ネブラスカ法民主党員と同様に、ダグラス派は中央管理ではなく彼らが北部民主党大半の支持を得ていると主張した。 南部の過激的思考をする者達は、南部の農園主階層が中央政府の行政、立法および司法組織への支配を弱めたので、劇的に前進できた。また南部の民主党は民主党内の同盟者を通じて北部諸州の多くにおける力を操ることが難しくなっていった。
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