八十年戦争のはじまりとは? わかりやすく解説

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八十年戦争のはじまり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「八十年戦争のはじまり」の解説

詳細は「八十年戦争」を参照 1568年6月5日異端撲滅の名のもとにエフモント伯ラモラールホールンフィリップを含む大貴族20余りブリュッセル処刑された。この際、大貴族一人であったオラニエ公ウィレム1世沈黙公)は1567年4月時点ドイツ逃れて無事だったが、彼ら亡命貴族財産領地多く没収された。1569年には十分の一税導入しスペイン財政改善のために低地地方経済的圧迫もたらしたウィレム1568年4月に軍を率いてオランダ北部中部から一斉に進攻したこの抵抗運動ネーデルラント独立戦争へ発展し、「八十年戦争」と呼ばれる長い戦いとなったが、これには12年間の休戦期間も含まれている。ウィレム軍は国王ではなく奸臣」を標的したものであり、同年5月23日にはヘイリヘルレーの戦い勝利したものの、結局は低地地方北部制圧失敗したウィレムフランスのユグノー合流し、「海乞食党(ワーテルヘーゼン)」を組織して低地地方沿岸無差別に攻撃略奪した1572年4月1日には海乞食党小都市デン・ブリル(オランダ語版英語版)の占拠偶然に成功しこれを機に低地地方港湾都市少しずつ制圧していった同年7月にはホラント州反乱側に転じウィレムを州総督迎えた低地地方北部ホラント州ゼーラント州に海乞食党足場整えた後には低地南部から改革派続々流入し徐々に2州主導権を握るようになった。こうして低地諸州は、反乱2州国王従順な他の諸州に二分され両者間の抗争始まった北部2州プロテスタント化は急速に進み1573年2月にはホラント州カトリック礼拝禁じられた。このとき、オラニエ公初めカルヴァン派聖餐式参列している。 1576年には給料未払いから低地地方駐留していたスペイン軍略奪に走ると、スペイン協力的であった南部州反乱州との提携転じヘント和約英語版)が結ばれた和約全部25か条あるが、最初の3か条はとくにこの条約基本性格表していると考えられている。第1条ではスペイン王による無条件大赦要求し第2条では諸州の連帯低地地方平和維持規定し第3条では宗教問題など諸州の問題解決するために全国議会を開くことを決めていた。しかし、この和約はまった効果的な裏付け欠いていた。そもそも約束された諸問題解決するための全国議会開かれなかったうえ、条約北部と南部互いに都合良く解釈する余地残していた。たとえば、フェリペ2世意向を気にする高級官僚1576年11月9日付け国王宛書簡で「和約」を容認したやむべき経緯釈明したうえで和約実施際し修正加えることを示唆している。同様にオラニエ公ウィレムの側でも、側近イングランド宛の書簡宗教問題について、ホラント・ゼーラント両州ではまった妥協する気がないことを述べている。このようにヘント和約一時的な妥協過ぎず永続性欠いており、状況推移によって簡単に崩れる脆い地盤の上にあった。ただし、低地地方におけるカルヴァン派教会創設その後進展しており、カルヴァン主義の「ベルギー信仰告白」が第一回改革派全国大会確認された。 ヘント和平宗教政策や新総督ドン・フアン・デ・アウストリアへの対応などをめぐってホラントゼーラントと他の諸州の意見合わず崩壊し1579年南部エノーアルトワ両州による「アラス同盟」が成立すると、北部7州はそれに対抗してユトレヒト同盟」を結んだ1581年7月北部7州(ユトレヒト同盟)はフェリペ2世統治権否認した。これはしばしオランダ独立宣言として扱われるが、あくまでもフェリペへの抵抗姿勢表明であった。ただ、それこそがのちのネーデルラント連邦共和国現在のオランダ)の成立準備したことは確かである。

※この「八十年戦争のはじまり」の解説は、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の解説の一部です。
「八十年戦争のはじまり」を含む「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事については、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の概要を参照ください。

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