伝承館開館までとは? わかりやすく解説

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伝承館開館まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 06:12 UTC 版)

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」の記事における「伝承館開館まで」の解説

震災後同校ではグラウンド瓦礫処理場なり立ち入り禁止され、また一部校舎床材アスベスト含まれている可能性があったため、被災した校舎解体され手つかずのまま残されていた。北校舎の中の瓦礫ボランティアなどの手によって大部分片付けられたが、南校舎震災から3年ほどが経った後でも、2階図書室に本と死骸一緒になって大量に散乱しているような状況であった一方気仙沼市では、震災発生から3か月後の2011年6月市内鹿折地区(大船渡線鹿折唐桑駅駅前)に津波打ち上げられ大型漁船「第18徳丸」を震災遺構として保存する意向表明し船主会社同船無償貸借契約結んでいた。しかし、河北新報社実施したアンケートで、地区住民の9割が保存反対であることが判明船主からも解体提案され結局市は同船保存断念して2013年9月解体撤去した。その後、市が震災遺構あり方考えるため、同年11月から合計3回わたって開催した気仙沼市東日本大震災伝承検討会議」の報告書の中で、「震災遺構候補」のひとつとして気仙沼向陽高校」が取り上げられた。また、会議の期間中である2014年2月階上地区振興協議会階上地区まちづくり協議会連名で市に提出された「階上地区まちづくり計画提案書」において、「旧気仙沼向洋高校保存」が要望されていた。 市は、続いて2014年10月から合計6回にわたって気仙沼市東日本大震災遺構検討会議」を開催した。ここでは、上記気仙沼市東日本大震災伝承検討会議」の内容踏まえ、国からの復興交付金活用して整備する震災遺構候補として同校をあげ、その保存および活用方法についての検討が行われた。同会議の報告書では、「旧気仙沼向洋高校保存すべき」との結論出された。また、会議並行して、市は同校保存向けた調査進めており、その報告書2015年3月公表された。その結果同校校舎施設について不同沈下鉄筋腐食はいずれ見られず、コンクリート圧縮強度中性化深さ塩化イオン含有量とも基準満たしており。一般公開耐えうる状態であることが確認された。また、この調査報告書では、校舎をすべて原状保存する場合一部撤去する場合一部他用途活用する場合など数パターンの案が提示された。 2015年5月、市は同校南校舎震災遺構として保存する方針発表した。この時は、保存対象南校舎のみとする計画であったが、2016年12月三陸ジオパーク気仙沼推進協議会と市観光課などが初め一般向けに同校公開するツアー実施したところ、参加者アンケートでは南校舎以外の部分保存希望する意見多数占めた。これを受け、市は急遽保存範囲広げ解体予定だった北校舎含めほぼすべての校舎保存することとした。同校宮城県高校あり所有者は宮城県であるため、2017年4月土地建物を県から市に譲渡する契約取り交わされた。 市は同校保存整備にあたってありのまま実態可能な限り来館者に見てもらうため、校舎内部立ち入って見学できるようにする前提検討行ったが、校舎内部破損したままの状態で残すなど、建築基準法適合しない場合該当することが障害となった。市は当初、すでに震災遺構として公開されていた岩手県宮古市たろう観光ホテル参考に、同法適用受けようとしたが、県建築審査会への事前照会で「認可困難」との回答得た建築基準法適用除外のためには、文化財保護法条例によって建物現状変更規制かけたり保存措置講じることが条件であるが、文化財指定50年上前建設され建物であることが前提であり、文化財保護法適用不可であった。そこで、市は2017年3月17日に「気仙沼市東日本大震災遺構保存条例」を制定した震災被災した自治体同種の条例制定したのはこれが初であった。 これにより整備計画は県建築審査会審査通過2018年1月24日着工しコンクリート劣化防止作業見学ルート整備などの工事が行われた。2018年9月7日から10日1日まで開催され気仙沼市議会第98回定例会において、保存整備される施設の名称を定めた気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館条例」案が可決され、名称は「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」と決定した復興交付金など総事業費12億円が投じられ整備された当館は、2019年3月10日開館した開館初日県内外からおよそ1,000人の来館者が集まったその後滑り出し好調で、開館から8か月目標入館者数の75000人に達した11月16日には内閣総理大臣安倍晋三視察訪れた。 なお、気仙沼向洋高校は、震災直後2011年4月から本吉響高校気仙沼西高校米谷工業高校近隣3高校に分散し校舎間借りして授業行っていたが、同年11月からは気仙沼高校第2グラウンド建てられ仮設校舎使用していた。2018年8月国道45号沿いの長磯牧通地区新設され校舎移転し、現在に至る。

※この「伝承館開館まで」の解説は、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」の解説の一部です。
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