伏見大手座とは? わかりやすく解説

伏見大手劇場

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 04:11 UTC 版)

伏見大手劇場(ふしみおおてげきじょう)は、かつて存在した日本の映画館である[2][3][4][5]。正確な成立時期は不明であるが、京都府紀伊郡伏見町(現在の同府京都市伏見区)の大手筋伏見帝國館(ふしみていこくかん、新漢字表記伏見帝国館)として開館した[6][7][8][9][10][11][12][13][14]明治中期福富座(ふくとみざ)として開館、1895年(明治28年)7月11日に伏見大手座(ふしみおおてざ)と改称した芝居小屋を源流に持つ[13][14][15][16][17][18][19]第二次世界大戦後の1950年代に、伏見日活館(ふしみにっかつかん)、伏見日活映画劇場(ふしみにっかつえいがげきじょう)、そして伏見大手劇場と改称した[4][20][21][22]。俳優の長谷川一夫の叔父、長谷川宗太郎が経営したことで知られ、長谷川一夫は、子役としての初舞台をこの大手座で踏んだ[13][14]


  1. ^ 『写真集 映画黄金期 小屋と名作の風景 下巻』国書刊行会、1989年
  2. ^ a b c d 便覧[1958], p.163.
  3. ^ a b c d e 便覧[1960], p.187.
  4. ^ a b c d 便覧[1962], p.184.
  5. ^ a b c 便覧[1963], p.176.
  6. ^ a b 年鑑[1925], p.473.
  7. ^ a b c d e f g 総覧[1927], p.679.
  8. ^ a b c d e f g 総覧[1929], p.283.
  9. ^ a b c 総覧[1930], p.585.
  10. ^ 昭和7年の映画館 京都市内 37館、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2013年10月23日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g 年鑑[1942], p.10-69.
  12. ^ a b c d e 年鑑[1943], p.472.
  13. ^ a b c d e f キネ旬[1979], p.449.
  14. ^ a b c d e f g h i j k 長谷川[1984], p.358-386.
  15. ^ a b c d e 国立[1997], p.99.
  16. ^ a b c d e f g h i 国立[1999], p.10, 384, 427.
  17. ^ a b 国立[2003], p.521.
  18. ^ a b c 国立[2005], p.398.
  19. ^ a b c 京都府[1971], p.295.
  20. ^ a b c 年鑑[1951], p.181.
  21. ^ a b c d e 年鑑[1956], p.330.
  22. ^ a b c d e 便覧[1956], p.123.
  23. ^ a b 伏見プラザ大手筋店ザ・ダイソー、2013年10月23日閲覧。
  24. ^ 年鑑[1973], p.264.


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伏見大手座

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伏見大手劇場」の記事における「伏見大手座」の解説

正確な成立時期は不明であるが、明治中期のある時期京都府紀伊郡伏見町現在の同府京都市伏見区)の大手筋福富座として開館するその後1895年明治28年)には従来館主から交代したため伏見大手座と改称し同年7月11日大阪から二代目市川市十郎らの一座招いて公演行いこれをもって同座開館とする。同地は、1895年明治28年2月1日京都電気鉄道伏見線(のちの京都市電伏見線)が開通して大手筋電停主要駅として設置され大手筋には商店が立ち並び、賑いを見せていた。1897年明治30年12月には、劇場経営会社「伏見大手座株式会社」が設立されている。1903年明治36年1月5日7日29日付の『大阪朝日新聞京都附録によれば同座破損のため興行停止しており、仮小屋当時風呂屋町存在した伏見郵便局前に設置して中村笑(のちの市川左文次)の一座公演同月26日をもって仮小屋を廃座したという。このとき伏見町内の有志家が出資して同座新築行っている旨、報じられた。 その後同座再建されることなく放置されたが、同町向島井目喜三郎が5,000円(当時)の巨費投じて新築し1907年明治40年1月15日新築祝式、同月19日には落成式挙行した。1910年明治43年4月15日には、京阪本線開通とともに伏見駅現在の伏見桃山駅)が大手筋東側開業した同年8月22日付の『大阪朝日新聞京都附録』に、長谷川宗太郎同座経営乗り出し旧来の悪弊一掃するとの記事掲載される。この長谷川宗太郎は、宗次郎とも呼ばれる人物であり、のちの俳優長谷川一夫1908年 - 1984年)の母の弟にあたり家業造り酒屋名護屋」を継承しつつ、劇場経営映画館経営を手がけ、京都市議会議員にもなった人物である。同年12月10日付の『京都日出新聞』には、松竹合名現在の松竹)が、伏見唯一の劇場としてある大手座だけでは手狭であるとして、「伏見明治座」を建設すべく大手筋紺屋町西入ルの土地購入との記事掲載されているが、同計画のその後については不明である。つまりは、大手座は、明治末年時点では、伏見唯一の劇場であった座主宗太郎の甥、長谷川一夫は、幼少時から大手座出入りし1913年大正2年)には、中村之助一座の『菅原伝授手習鑑』に代役として子役出演菅秀才演じて舞台デビューしている。1927年昭和2年)には、一夫に対して映画界入り勧め同年一夫松竹下加茂撮影所入社している。 1928年昭和3年11月3日には、奈良電気鉄道桃山御陵前駅現在の近畿日本鉄道京都線同駅)が開業した大手座その後多く芝居等を上演したが、『近代歌舞伎年表 京都篇』をみる限りでは、1934年昭和9年9月20日から2日間にわたって上演され女流奇術師松旭斎天勝引退興行記事の後、上演記録見当たらない長谷川宗太郎同座のほか、伏見帝國館風呂屋町伏見映画劇場伏見松竹館)を経営した

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