計画のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 03:00 UTC 版)
「ブラン (オービタ)」の記事における「計画のその後」の解説
ブランは1988年11月15日午前3時(協定世界時)にバイコヌール宇宙基地から発射され、206分間にわたり無人で地球軌道を周回し、発射場所であるバイコヌール宇宙基地の滑走路に自動着陸を成功させた。 予定では1992年に有人飛行を行うはずだったが、1991年12月25日のソビエト連邦の崩壊と共にこの計画は消滅した。1号機ブランはカザフスタンのバイコヌール宇宙基地に保管されていたが、2002年5月12日に暴風に遭い失われた。この出来事で作業員8人が死亡したとされる。また、2号機「プチーチュカ(小鳥)」3号機「バイカル(バイカル湖より)」など、いくつものブラン型派生モデル開発・製造途中だったが、これらも全て中止となった。1機は、バイコヌール宇宙基地内の博物館に展示されたが、残り2機は2018年現在、バイコヌールの格納庫の中で放置されている。 ブランの試験機であるOK-GLIは、2000年にオーストラリアで展示されたあと2002年にバーレーンに引き取られ、しばらくの間放置されていた。2004年にバーレーンからドイツのシュパイアーにあるシュパイアー技術博物館(ドイツ語: Technik-Museum Speyer)に引き取られることが決定し、2008年3月6日から同年4月12日にかけて船で輸送された。 ブランには、O・K・アントーノフ記念航空科学技術複合が設計・製造したAn-225ムリーヤという世界最大の航空機が専用機として輸送の任にあたっていた。こちらは世界最大の貨物機として活躍した。
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