未成の開発計画のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)
矢作水力が開発を計画し、電力国家管理でそれを引き継いだ日本発送電によって着工に移された水力発電所が3か所存在する。1か所目は天竜川本流の平岡発電所であり、旧天竜川電力が水利権を得て矢作水力が1939年8月より実施調査に着手してダム位置を見直していたところ、1940年7月に日本発送電へと引き継がれた。日本発送電では引き継ぎと同時に着工。太平洋戦争による資材不足や終戦による工事中断があったが、戦後1949年(昭和24年)8月工事再開、電気事業再編成を挟んで1952年(昭和27年)1月運転開始に至った。計画段階での発電所出力は泰阜発電所よりもさらに大きい8万2,000kWである。 2か所目は、立石発電所のある天竜川水系阿知川の最上流部にあたる昼神発電所である。旧南信電力が調査に着手していた地点で、矢作水力が引き続き調査を続け、1941年12月に水利権を得たものの、1942年4月1日付で日本発送電へ引き継がれた。同社でも計画が見直された結果、出力8,000kWの発電所として1943年(昭和18年)7月に着工。資材不足の中で突貫工事が進められ、戦時下の1944年(昭和19年)12月運転開始に至った。 3か所目は、天竜川水系遠山川に建設された出力1万2,800kWの飯島発電所である。これも旧天竜川電力が計画し、矢作水力が引き継いだもの。1939年4月1日の日本発送電発足とともに同社が計画を引き継ぎ、1943年11月に着工した。これも終戦による工事中断や水害による設備流出のため工事が遅れるも、1948年(昭和23年)12月日本発送電の手で運転開始に漕ぎつけた。
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