計画のみの競艇場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:01 UTC 版)
我孫子市 我孫子町時代の1951年に、水質悪化でリゾート地としての地位が低下した手賀沼周辺の活性化策として建設計画が持ち上がり町内を二分する議論となったが、1956年の町長選で反対派が当選し撤回となった。 相模湖競艇場 1954年に神奈川県津久井郡の町村により「相模湖モーターボート競走組合」を結成し日連村での競艇場建設を進めたものの工事の遅延により建設を断念、1958年6月に東京都内の競艇場を借りての競走実施の方針とし平和島競艇場での開催を行った。 三笠市 1985年に石炭産業再編後を見据えた市の振興計画の一環で財源確保と雇用創出を目的とした予算300億円規模の競艇場建設計画が打ち出され、設置推進期成会や市議会特別委員会を設置し検討を行った。 1988年時点では総事業費200億円で桂沢湖周辺を建設候補地とし20万平米の敷地で長さ450m×幅150m・水深2.5mの人工型の競走水面と6千人収容のスタンド席を備えた全天候型ドームと駐車場5000台・選手管理棟・整備棟・食堂を建設し直接雇用700人と年間約8億円の税収を見込み1989年度着工の計画とした。また1989年時点では総事業費300億円で川端町地区の旧住友奔別炭鉱跡地40万平米に桂沢案から拡大し長さ600m×幅150m・水深2mの競走水面と6千人規模のスタンドを備えたドームで年間156日開催・一日平均入場者6000人・収支分岐点一日4300人・一人あたり平均舟券購買額4万円(当時の全国平均は4.7万円)・初年度売上3.6億円・10年後売上25.3億円・返済期間15年の見積もりで札幌・岩見沢・旭川からの無料送迎バスの運行も行い実際の耐用年数は返済期間以上で十分に返済できるとし、運営主体の第三セクターには鹿島建設、三井物産、北海道中央バス、栗林商会の参加が内定していた。 しかし公営競技施設の新設を禁止した1958年の閣議了解や、建設に向けての運輸大臣許可のための知事の意見書が必要なところを過去の道営競輪事業の廃止に起因する北海道庁の公営競技への消極的姿勢がマイナス要因となり、その後1989年には横路孝弘北海道知事が閉山対策本部の現地調査において消極的姿勢の見解を明確化、そして1991年に建設反対派の青木銀一が市長に就任し、9月に市議会で誘致中止を決議し断念された。
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